青山通著 "ウルトラセブンが「音楽」を教えてくれた" [文庫]
2020年7月16日の日記
新潮文庫から出た,青山通著 "ウルトラセブンが「音楽」を教えてくれた" を読みました。結構,話題になった本ですね。
iruchanは文庫本のファンなので,文庫が出るまで待っていました。ようやく出たので早速買いました。
実を言うと,iruchanはウルトラセブンは昔から苦手.......でした。
理由は,怖いと言うものです。
iruchanはウルトラセブンの放送のあとに生まれているので,最初の放送のときは知らないのですが,たぶん,子供の頃,再放送か再々放送くらいで見たのだと思いますが,とにかく怖かった......。
何よりウルトラマンだと科学特捜隊に,毒蝮三太夫とか,二瓶正也とかひょうきんなおじさんがいて,子供にも受けるキャラがいましたが,ウルトラ警備隊には,誰もそういうのはいないし,とにかく組織が軍隊そのものだし,俳優さんも怖そうな人ばかりでした。時折出てくる,参謀なんてやつがまたこれが怖くて,笑いもせず威張り散らしているし,正直,とても怖くて見ていられなかった,という印象があります。
この本の筆者の青木氏も書いていますけど,放送当時でまだ終戦から22年しか経っていないし,iruchanが見た頃でも30年は経っていなかったはずですので,さすがに筆者が書いているように,iruchanの生まれた街に乞食はいませんでしたが,傷痍軍人はいて,「どうしてあのおじさんは片脚がないの?」って親父に無邪気に聞いたことを覚えているくらいで,まだ街には戦争の影がありました。
実際,俳優さんたちやスタッフには戦争経験者が多かったし,そのリアリティには迫力があって,子供には怖かった,と思います。なにより,ウルトラマンの次作として,今度は大人の鑑賞に堪える番組を,と言うコンセプトで作られた番組ですから,もとから子供向けではなかったようです。
その意味でも,iruchanが喜んで見ていたのは "帰ってきたウルトラマン" や "ウルトラマンエース" です。
ウルトラマンエースは結構好きだったけど,男と女が合体して変身する,と言う設定が卑猥だとPTAが批判して女優が降板し,さすがにこの頃になるとそれなりに物心ついた年頃になっていたのであきれた,と言う記憶があります。
さて,この本はウルトラセブンの最終回で流れている音楽の演奏が誰か,をずっと追求したと言う本です。
ご存じ,ウルトラセブンの最終回は,怪獣パンドンと死闘を演じ,倒したけれども肉体的に限界だったウルトラセブンはM78星雲に帰っていく,と言うストーリーです。
この死闘の前,ダンはアンヌ隊員に衝撃の告白をし,そのときに流れるのがシューマンのピアノ協奏曲です。
"僕は......,僕はね,人間じゃないんだ。M78星雲から来た......
アンパンマン
なんだ。"
って言ったら子供らに大受けでした。
アンヌ隊員はファンが多いですね。今だとごく普通ですけど,男にはっきり言いたいことを言う,当時としてはかなり珍しいキャラクター設定であっただろうと思いますが,意思をしっかり持った,美しく新しい女性像として描かれていたのが現代的で,まさにウルトラセブンは時代を先取りしていた,と思います。
ここで,シューマンのピアノ協奏曲の第一撃が鳴らされます。
急にシーンは反転し,バックが白く変わります。
まあ,衝撃のシーンに流れる曲というのはだいたい決まっていて,バッハの "トッカータとフーガ" はもう定番中の定番ですけど,ほかにはチャイコフスキーの弦楽セレナーデやヴェルディのレクイエムの "怒りの日" とか,ほかにはボロディンの "はげ山の一夜" とか,iruchanは嫌いですけど,ツィゴイネルワイゼンなんかもそうですね。
シューマンのピアノ協奏曲は少しこういった曲の中ではマイナーですけど,名曲がひしめくピアノ協奏曲の中でも屈指の名曲ですよね。
とはいえ,実はiruchanもクラシックを聴くようになったのは大人になってからで,ウルトラセブンの最終回の曲はずっと長い間,グリーグのピアノ協奏曲だ,と思っていました。
最近,近くのローカル局でウルトラセブンをやっていて,愚息が見ているのでそれを横で見ていて気がつきました。あれ? ちゃうやんか......。
まあ,グリーグのピアノ協奏曲も,同じようにピアノの強奏ではじまり,衝撃のシーンにも使われるので,勘違いして覚えていたのだ,と思います。
それに,実はこの本を読んでびっくりしたのですけど,監督の満田かずほ氏が考えていたのはラフマニノフの協奏曲第2番だったらしく,これじゃ,iruchanが考えても,少し優雅すぎますよね。そこで,音楽担当の冬木透氏は最初,このシーンで考えたのは,グリーグだったそうです。
へぇ~,やっぱりか,と思っちゃいました。でも,こちらもやめて,結局,シューマンにしたそうです。
ウルトラセブンの最終回で使われた理由は,この曲,通しで聴いた人ならわかると思いますが,暗くはじまるのに,最後は明るく高らかに勝利の歌で終わります。ラフマニノフだと華麗に終わるけど,勝利って感じじゃありませんね。ベートーヴェンの "運命" やiruchanも大好きなショスタコーヴィチの "革命" と同じような終わり方です。チャイコフスキーの "悲愴" はともかく,5番もそうだけど,暗く終わる曲はどうにもなじめません......(^^;)。
余談ですけど,どういう具合か,レコードにしてもCDにしてもこのシューマンとグリーグの2曲がなぜかカップリングされていることが多いですね。だから,iruchanも間違えていたのかも。シューマンだったら,リストとか,ほかのドイツ系の作曲家と組み合わせればよいように思っちゃうんですけど,昔からグリーグとのカップリングでした。
まあ,"運命" & "未完成" とか, "新世界" & "モルダウ" とか,レコードの時代はだいたい,長さの制限もあったんでしょうが,カップリング曲は決まっていました。
と言うことで,まず曲はわかったのですが.....。
問題は誰の演奏か,ということです。この本はリパッティ&カラヤン盤と結論づけていますし,音楽担当の冬木透氏からもそのように回答をいただいています。
リパッティ(1917~50)は今もファンが多いですが,ルーマニア出身のピアニストで,コルトーの高弟です。1933年のウィーン国際コンクールで2位に甘んじたため,怒ったコルトーが審査員を降りたのは有名な話ですし,白血病で夭折したことでも有名です。
と思っていたのですけど,実際,そのように書いている本が多かったのですが,どうも白血病ではなかったらしく,wikiを見るとホジキン病(ホジキンリンパ腫)のようです。この本では悪性リンパ腫,と書いてあります。これもwikiを見ると,現在では,がんの一種では比較的,治りやすいがんのようですが,当時はもちろん不治の病でした。
シューマンは1948年,カラヤンとの共演で,英EMIから出ています。オケはフィルハーモニアo.で,要はカラヤンがもとナチだったので干されていたのをEMIのウォルター・レッグが彼専用に作ったオケですね。
この時代,まだ戦争は終わったばかりでしたし,フルトヴェングラーもカラヤンも活動が禁止されていた時期で,フルトヴェングラーはナチではなく,ユダヤ人演奏家の亡命を手助けしたりもしたのですが,ヒトラーの誕生日の記念演奏会で指揮したりしたのを糾弾されました。
で,この演奏なのですが,iruchanも最近まで聞いたことがありませんでした......orz。
あまりにも有名な録音なんですけど......。
やはり,ちょっと彼の最期が気の毒で,この演奏も聴くのにちょっと勇気がいりました。特に,彼の場合,亡くなる3ヶ月前のブザンソン国際音楽祭の "告別演奏会" なんて録音もありますしね.....。
2017年に,彼の生誕100周年を記念して,たくさんCDが出ました。iruchanもようやく,このとき出た4枚組を買い,遅まきながらシューマンを聴きました。
DINU LIPATTI THE LEGEND
確かに,このウルトラセブンの最終回に使われた演奏,というのはすぐにわかりました。
シューマンのピアノ協奏曲というのは名曲のひとつですから,LPが出ると何人もの演奏家のレコードが出ています。この頃だと,この本にもあるとおり,ハスキルのがあったはず,と思いますが,これは使われていません。ハスキルはモノ・ステレオあわせて3回もこの時代,録音しているのですが,どれも聴いてみると違和感があります。ほかにはカラヤンとギーゼキング盤もありますし,ほかに巨匠バックハウス盤もありました。リパッティも,アンセルメとの共演盤がありますが,やはりカラヤンとの共演の方がよいです。
ウルトラセブンで使われたのは,病魔と闘ったリパッティの姿とウルトラセブンの姿がダブるから,と言うのもあったのでしょうが,何より演奏が素晴らしい,というのもその理由でしょう。
ただ,さすがに1966年という段階ではステレオ録音盤が出ていますし,もっと音のよい演奏の方がよいのでは,と思っちゃいます。1948年録音ではSP録音のはずだし,ノイズも多く,音の帯域も狭いので,はっきり言って演奏はいいけど,録音はよくない,と言う盤です。
ただ,本当にSP録音か......と言うと疑問があり,まったくスクラッチノイズが聞こえないので,テープ録音と思われます。この4枚組に入っている,ショパンのマズルカなどはスクラッチノイズが聞こえるのでSP録音ですね。
ちょっとこのあたり,むずかしいのですけれど,テープ録音自体はドイツが発明していて,ヒトラーの演説に何らスクラッチノイズが聞こえないので,英軍関係者は何か特殊な技術が使われているようだ,と考えていたというのはよく知られています。その秘密が明らかになったのは,ノルマンディー上陸作戦後,解放されたフランスの放送局でテープ録音機を見つけたからだったこともよく知られています。
それをもとに,EMIが作ったのがオープンリールのテープ録音機BTR1で,1947年のことですから,リパッティのシューマンはこれを使って行われたのではないか,と思います。
ただ,それにしても音が悪いのは残念。1950年代に入って,テープ録音機の改善が進むと格段に音がよくなっていくのですが,それは50年代後半から,というところなので,1948年という段階ではしかたないと思います。もっとも,SP録音じゃなさそうなので,プチ,プチとスクラッチノイズはなく,この年代のほかのSP録音のレコードに比べれば,格段に音がよいのは事実です。SP録音だったらさすがに放送には使えなかったでしょう。また,家庭のTVはまだ真空管式で,音も悪かったから,それほど気にならない,と言うこともあったのでしょうけど。実際,この番組をiruchanが見ていたのは脚のついた三菱電機製の大きな真空管式カラーTVでした。大きい,と言っても画面はせいぜい22インチだったような.....。
でも,音の悪さは別として,このリパッティ&カラヤン盤は不朽の名盤です。
それにしても,シューマンの演奏がリパッティのものだと調べるまでが大変で,そのプロセスは結構面白く読めます。シューマンの名盤の解説もあり,クラシックファンじゃなくても楽しく読める本です。
☆ ☆ ☆
2022年4月17日追記
今日,iruchanお気に入りのピアニスト,ラドゥ・ルプー氏の訃報が新聞に出ていました。スイス・ローザンヌで亡くなったそうです。享年76歳。
実はiruchanはシューマンのPf協はこの人の演奏が一番,と思っています。1973年,プレヴィン&ロンドン響と共演した,デッカ盤を聴いたとき,これだ!! って思っちゃいました。
確かに,リパッティは素晴らしい......でも,さすがに1948年のモノラル録音じゃ,ノイズも多いし,音域も狭いので聴きづらい,だからステレオでいい演奏を探していました。
この盤は録音がDECCAだし,1973年だとまだマイクや機器も真空管だし,音は抜群! iruchanは,DECCA legendとして発売されたCDを持っています。詳しい解説も載っていて,このシリーズはよいですよね。
Rupu&Previn DECCA盤
ただ,なぜかこの盤のことはあまり知られていないし,この本にも書かれていません。
シューマンじゃ,抜群の名演奏なので,ぜひ聴いてみてください。
それもそのはず,ルプーはルーマニア出身だったのですね......
訃報を見るまで知りませんでした。年代から考えて,接点はなかったと思いますけど,おそらく,リパッティを祖国の師と仰ぎ,尊敬していたのでしょう。そりゃ,うまいわけです。もし,リパッティが長生きしてステレオ録音していたら,こんな演奏になったのではないではないか,と思うくらい名演奏です。
小松左京 "復活の日" [文庫]
2020年7月5日の日記
小松左京は,中学の時に結構読みました。あらかたショート・ショートと呼ばれる作品は読んだつもりでしたけど,名作 "くだんのはは" は知りませんでした。非常に多作の作家なので,まだ読んでない作品がたくさんありそうです。
でも,たくさん読んだ,と思っていたつもりですが,それはショート・ショートだけで,大作で最後まで読んだのは "日本沈没" だけです。"復活の日" や "さよならジュピター" は読んでいませんでした。"日本沈没" は最初のカッパ・ノベルス版を持っているので,結構貴重かも........なんて思っています。
"復活の日" を読んでいなかったのは,さすがに大作過ぎて中学生が読むには厳しそう,と言うのもあったのですが,草刈正雄が出ていた映画があって,作ったのがやはり角川映画らしく,宣伝があまりにも大々的で,却ってうさんくさい印象を受けたせいだと思います。その映画のCMも覚えているのですけど,どうにも邦画が嫌いだし,あまりに仰々しいそのCMも,どこか空々しい感じがして,映画も見ていませんし,小説も同じ感じかな,なんて思って読んでいませんでした。映画はBSでやるとは思えないし,と言ってDVD借りてきて見てみよう,という気も起こらないんですが.....。
とはいえ,カミュの "ペスト" 同様,昨今のコロナ禍の広がりで読む人が増えているようです。先日,本屋さんへ行ったら,角川文庫が平積みになっていました。
角川文庫版の新刊も2018年8月の発行ですね。しばらく絶版になっていたのだと思います。
iruchanは早川書房の単行本で読みました。単行本は少し早く,1月に出ているようですが,単行本と文庫本が並行して出ている,というのは珍しいですし,発行元が違う,というのは極めて珍しいと思います。権利はどうなっているんでしょうか。
と言うのもありますが,コロナ禍をまるで予見したかのように,新刊本が2年前に出ているのが不思議ですし,内容自体も驚くほど近い状況です。感染拡大に伴って東京の電車がガラガラになったというあたりはびっくりです。
でも,乗務員が次々に死亡し,電車の運転が間引き運転になったとか,東海道線は動いていないとか,状況ははるかに深刻です。TVも徐々に放送が縮小し,最後は停波してしまいます。
結局,最初の感染からわずか3ヶ月で35億人の人類はほぼ全滅してしまいます。
"復活の日" の方はウィルスではなく,宇宙由来の新型の核酸が原因物質です。この核酸を英国の防衛機関が利用し,細菌兵器MM-88に仕立てたところ,外国(どこか不明)のテロ集団が奪取したのはいいが,レーダーを避けるため,木造の旧式飛行機だったため,アルプス山中に墜落し......というのがパンデミックの発端です。
とはいえ,地表に落下した人工衛星にタンパク質が残っている,というのはあり得ないですし,確かにアポロ宇宙船の乗組員が地表帰還後,未知のウィルスを持ち込まないか,隔離されたのはよく知られていますが,彼らは大気圏内に突入しても安全な司令船内部で生還しているので,当然かもしれませんが,人工衛星だと1000℃以上の高温に晒されて地表に届いたのですから,今でも人工衛星の残骸を調査することがあるようですが,隔離したりはしていませんね。
それに,核酸がウィルスに変化して,それが人体に取り込まれてからの作用などについて,長々と説明があるのですが,さすがにさっぱりわかりませんでした......orz。
このあたりの科学的記述は,さすがは小松左京,と唸らせるところはあるのですが,ちょっとくどすぎ。
かと思うと,このウィルスは低温に弱く,結局,南極の各国基地に居住していた1万人だけが生き残るのですが,女性は16人しかいないので,性欲のはけ口として残りの男たちと平等にセックスせよ,なんて議論がまじめになされる,なんてあたりは大作とは思えない,これじゃまるで,ショート・ショート的な "落ち" で少々,幻滅します。また,終戦直後のアナタハン島事件は実際にあったことですけど,無人島に男と女が漂着し,なんて映画は過去いくつもありますから,こういうシチュエーションは感覚的には既視感があります。
舞台としても1970年代前半が舞台なので,SFとしてはもう,とうに時代が追い越してしまっているので,今,読むと笑ってしまうようなシチュエーションも多いです。コンピュータでウィルスの挙動を予測するあたり,コンピュータはパンチカード式です! さすがにiruchanもこの入力装置を使ったコンピュータは見たことがありません。
小松左京のほかの小説でも出てきましたが,TV電話はブラウン管式だし,こういう点,SFのむずかしいところですね.....。
ラスト,無人となった地球で米国のドゥームズデーマシンが動作し,中性子爆弾による核攻撃の応酬でウィルスが滅ぶ,というのは少々,荒唐無稽。どうやらこのウィルスは高速中性子に弱いらしいのですが......。
南極に生き残った人類が南米に移動し,人類復活の第一歩を記す.....というのがエンディングでした。
まあ,このあたり,iruchanも映画すら見ていないのですけど,すでに知った内容でしたので,結末は知っていたのですが,冒頭の感染拡大の状況はコロナと似ていて,唖然とするとともに,非常に手に汗を握る展開なのはさすがと言わざるを得ません。少々,今の目で見てみるとおかしなところが多いのですが,今,読んでみても,とても面白いし,本を買っても損はないと思いました。