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ロバート・ウィルコックス著 "成功していた日本の原爆実験" [海外]

2023年1月31日の日記

成功していた日本の原爆実験1.jpg

終戦間際の1945年8月12日払暁,朝鮮半島北部の日本海側沿岸の興南という町の沿岸で,巨大な爆発があり,それは日本が開発した原子爆弾の実験で,原爆実験の結果は成功であった......。

という主張がこの本の始まりです。

そんなバカな,と思う人が多いでしょうし,iruchanもまったく信じていません。

日本が原爆を開発し,最終的に実験に成功した,というのはSFやロバート・ハリス “ファーザーランド” や佐々木譲の "エトロフ発緊急電" のような,あり得なかった歴史を描いた歴史改変小説ならともかく,ノンフィクションとして発表するならば,確たる証拠に基づいて第三者の検証を経て発表されるべきものです。

その点,あまりにもおろそか,という印象は受けますが,昔から日本も含め,原爆開発の歴史を調べているので,網膜剥離で一週間,入院することもあり,うつむき姿勢を強要されることから読んでみました。

確かに,トンデモ本という印象は受けるのですが,そもそも,"なかった" ということは証明しにくく,よく,悪魔の証明と称されますが,日本が原爆を実験していない,ということを証明することは容易ではありません。

また,読んでみて気がついたのですが,日本の原爆開発が終了し,広島,長崎へ原爆が投下されて仁科芳雄以下の科学者が検証するまであたりはほぼ史実どおり,と思われます。iruchanがこれまでに読んだ,歴史関係の本の記述と一致しますし,陸軍が理研の仁科芳雄,海軍が京大の荒勝文策に依頼し,六フッ化ウランを製造してそれぞれガス拡散法と遠心分離法に取り組んで機器を試作していく過程などは他の本にない,詳しさでよくわかりました。

ただ,朝鮮半島での日本の原爆開発に関する第6部以降はマユツバもので,断片的で,出典も怪しい,論拠も薄く,信頼性の低い情報を,日本が原爆開発に成功した,という自分の結論に沿って都合のよい情報だけを勝手に解釈し,書き連ねただけ,という印象を受けます。

その点,”ノストラダムスの大予言” に似ているし,最近,右派の作家が勝手に日本の歴史を自分流に解釈し,ベストセラーになっていますけど,それらの本に似ています。読む方も読む方,という気がしますけどね.....。

余談ですけど,ノストラダムスの筆者はなにも刑事罰を受けていないことが昔から,腹が立ちます。どれほど,iruchanも含め,多くの青少年を不安に陥れ,果ては将来を悲観して自殺者もいたはずですけど,その点,iruchanは大いに怒っています......。

ただ,確かに,iruchanも朝鮮の興南で終戦間際に巨大な爆発があった,ということは間違いないようです。日経だったか,朝日だったかで,記事が出ていたのを覚えています。当然,原爆実験とは書いていませんけどね。

ここに,日本窒素肥料(現チッソ)の子会社・朝鮮窒素肥料が巨大な工場を建設し,肥料を製造していました。

チッソの公式HPにもこう記述してあるので,間違いない事実です。

ウィルコックスは,ここに巨大なウラン濃縮プラントが設置され,濃縮ウランが製造されていた,と主張しています。

また,近くの鴨緑江にダムを建設し,水力発電所を設けて,そのプラントの動力に使用していた,と書いてありますが,チッソのHPにある,1944年に水豊ダム完成(70万kw)とあるのがそれだと思いましたが,ダムの完成は1941年のようです。一方,興南近くでは,支流の長津江にダムを設けることを計画し,1935年に完成します。黄海に流れる鴨緑江の流れを発電所経由で日本海に流す,という遠大な計画でした。朝鮮戦争の時の中国人民解放軍との激戦で有名な長津湖です。

そもそもなぜここで中共軍と国連軍で激戦になったか......それは中共がここのウラン濃縮設備や残っていたウランを奪取しようとしたからだ,というのがウィルコックスの主張です。

ちなみに国連軍は長津湖から後退し,興南の港から撤退しています。

当然,海兵隊は何らかの工場設備の廃墟を見つけたはずですし,ガイガーカウンターくらいは持ち込んで調べているはずですから,もし,日本が何らかの原爆関係の遺留品を残していれば,記録に残っているはずです。

肥料というのは窒素を原料にしており,硫安(硫酸アンモニウム)を製造しますが,火薬の原料となる硝酸アンモニウム(硝安)と化学的にも製造法も似ており,ごく単純に考えれば,硫酸とアンモニアを反応させれば硫安,硝酸となら硝安ということですよね。戦時中は火薬の製造をしていたことは間違いないと思います。

さすがに,チッソのHPにはそう書いてありませんけどね........[雨]

また,ウィルコックスはウラン濃縮のため,大きな電力が必要で,その大電流に耐える電極として白金が必要で,大量に購入していた,と書いていますけど,白金は触媒用でしょう。大電流用の電極なら,普通はカーボンです。

実際,硝酸を作る際にアンモニアを酸化させ,一酸化窒素(NO)を経て硝酸を作りますが,このとき,触媒で白金を使います。高校の化学で確か習ったような......。iruchanは化学嫌いだったのでよく覚えていませんけど......[雨]

ドイツのオストヴァルトが1902年に発明しているので,興南でも使っていたのではないでしょうか。

おそらく,興南の大爆発,というのはこの硝酸アンモニウムが爆発したもので,もちろん,原爆ではない,と思います。ウィルコックスによれば,海上で爆発した,とあるので,わざわざ海上まで大量の硝酸アンモニウムを運んで爆発させたのか,というのは確かに疑問ではありますけど......。

8月9日にソ連軍がソ満国境を越え,進撃してきたので,清津,羅津などの港はもちろん,巨大なプラントがあった興南はソ連軍の標的だったでしょう。

ウィルコックスはソ連軍が日本が製造した濃縮ウランや製造設備を入手し,ソ連最初の原爆の材料にした,と書いていますが,そんなことをするよりも,市川浩著 "ソ連核開発全史" やMichael Dobbs著 "Six months in 1945"にも書いてあるとおり,すでに鹵獲していた,ドイツの濃縮ウランを使う方が容易だったでしょう。

一方,日本陸軍は,撤退前に工場設備を事前に爆破し,略奪されないようにした,と考えるのが自然で,その際,ダイナマイトか,単純に放火したあと,備蓄されていた硝酸アンモニウムに引火,誘爆したというのが興南の大爆発の真相,とiruchanは考えています。撤退時に破壊していった,というのは5年後の国連軍も同様で,長津湖から後退し,この港から,港湾設備を破壊して撤退したようです。

実際,2020年8月4日18時頃に中東レバノンの首都ベイルートで倉庫に備蓄されていた硝酸アンモニウム2750tが爆発し,218人が亡くなり,30万人が家を失った事故は記憶に新しいですが,一部の報道で最初,核攻撃と誤認した,ということからも巨大な爆発で,規模についても,原子爆弾級,と報じられていました。実際,映像を見ると原爆特有の閃光は見られませんが,衝撃波で水蒸気のドームがパッと膨らんで,その後,キノコ雲が立ち上がっていく点はビキニ環礁の水爆実験などの映像とそっくりですね。

ベイルートの爆発は,威力もTNT火薬換算1.1ktくらいの威力があったようで,15ktとされる広島の原爆の威力の1/10くらいはあったようです。港の倉庫に備蓄してあった硝酸アンモニウムの爆発のため,水蒸気のドームが発生していて,興南の爆発も海岸近くの倉庫に備蓄してあった硝酸アンモニウムやその他の爆薬が爆発して,水上爆発と誤認されたのではないでしょうか。

一昨年,父が亡くなりましたけど,戦時中,船乗りをしていたので,清津,羅津にも行ったことがあるはずで,話を聞いておけばよかったと思います。「露助は鴨緑江の発電機まで持って行きやがった」と生前,話をしておりましたけど,ソ連軍の略奪は徹底的で,ベルリンなどでは住宅の水道栓まで略奪していったらしいので,興南の工場機器は格好の標的だったでしょう。

公式には,仁科が戦後,米軍の聴取に対して,5月に理研が破壊され,以後,研究の継続ができなくなった,というのが正しく,また,日本は濃縮ウラン製造設備の試作がかろうじてできるくらいのレベルでしかなく,原料となる天然ウラン鉱石も満足に集めることができず,原爆開発のスタートラインに立つことができただけ,というのが正しい認識,と思います。

ここまではウィルコックスは正確に記述している,と思いますが,研究室でさえ,そんなレベルなのに,興南で朝鮮半島で採掘したウラン鉱石から濃縮ウランの量産製造設備を稼働させ,兵器級の濃縮ウランを製造し,山中の洞窟で原子爆弾を組み立てていた,とは考えられません。また,日本の原爆? はウラン型としていますが,プルトニウム型の研究もしていたとし,興南の近くにある,古土里に日本初の原子炉があった,としています。

プルトニウムは自然には産出しないので,原子炉でウラン238に高速中性子をぶつけて製造する必要があります。

シカゴ大でフェルミが作ったパイル1(CP1)から発展して,ワシントン州ハンフォードで本格的なプルトニウム量産用ハンフォードB炉が建設され,生産されたプルトニウムでファットマンが製造され,長崎に投下されたのは周知の事実です。

日本がそこまでやっていた,とは思えません。

万万が一,もし,確かに "深海の死者" Uボートにより,密かに臨界量の濃縮ウランが日本に運び込まれ,簡単な起爆装置を用いて原子爆弾を作っていたら,ということだけが唯一,残る可能性とは思いますけど......。

とはいえ,ゴビ砂漠でも日本が原爆実験をした,とか,また,広島が標的になったのは,広島に原子炉を含む原爆製造設備があり,トルーマンが破壊を命じたため,という主張になってくるともはや荒唐無稽としか言い様がありません。

満州を日本が支配していたから,といって,ゴビ砂漠は満州国内ではありませんね......。

ノモンハン事件で日ソ両軍が戦闘し,いくら日ソ中立条約がその後成立し,また独ソ戦でソ連が兵力を減らしていたかもしれませんが,日本に対して警戒を怠っていた,とは思えません。警戒の網をくぐって原爆を搭載した関東軍のトラックが夜中,ゴビ砂漠まで原爆を運んでいって実験した,ということが可能でしょうか。たぶん,ウィルコックスはゴビ砂漠は安全な満州領内,と考えているのでしょう。

それにしても誤植や誤記が多いのもいただけない。

前半部分は先にも書いたとおり,それなりに史実に沿っているし,スペインのスパイ・ベラスコの記述などもNHK特集などと同じ内容で,信じるところがありますけど,終始,ジェット機とロケットを混同していて,ウィルコックスは "V-1,V-2のロケット" と書いていたり(V-1はパルスジェット機です),興南の爆発はジェット燃料の爆発だったかもしれないと書いているのですが,ジェット燃料が爆発性と誤認しているようです。ヒドラジンを原料として,と書いているのはジェット燃料ではなく,ロケット燃料で,V-2などの初期の液体式ロケットに多用されました。確かに,興南で作っていたのがロケット燃料で,ヒドラジンと液体酸素が反応して大爆発した,ということも考えられますけど,当時の日本がどちらも大量生産できたとは思えませんね。

日本のロケット戦闘機 "秋水" のモデルとなったメッサーシュミットMe163はヒドラジンとメタノールを使っていたようですが,興南の工場でも製造されていたのかもしれませんが,そんな爆発性の物質を安全に日本まで運べたのでしょうか。

一方,"橘花" のモデルになったジェット機Me262の燃料は詳しくは不明ですが,現在のジェットエンジンの燃料は灯油ですし,当時も爆発性のものではない,と思います。wikiを見ると"橘花" は松根油を使った,とあり,終戦近い時期だとおそらくこのような燃料でしょう。

松根油も灯油も爆発性ではなく,液体の状態なら着火するのに苦労するくらいの燃料のはずです。聞くところによると灯油タンクに燃えたマッチを放り込んでも消えるだけ.......とのことですが,実験するつもりはまったくありません......[雨]

いずれにしても,1945年8月7日に初飛行しているくらいなので,特殊な燃料を大量に製造するどころの話ではなく,興南で大量生産していた,とは考えにくいです。

        ☆          ☆          ☆

病気で入院中,ということもあり,ゆっくり読めましたけど,世界的なポピュリズムの潮流に乗って「日本スゴい」という翼賛番組を天下の国営放送が堂々とやる時代になったり,右翼系の筆者による,恣意的な解釈と扇動的な文章で,安易に過去の検証された歴史を否定する本がベストセラーになったりする風潮は危険だと思います。

ただ,最後に筆者が警告しているように,戦時中の日本や,北朝鮮やテロリストのような,技術的にもレベルの低い国や集団でも核兵器は作れることは確かのようです。

実際,iruchanが中学生の頃,週刊朝日に60万円で原子爆弾が作れる,という記事が出ましたけど,もし,臨界量以上の濃縮ウランが手に入れば,アマチュアでも作れるレベルであることは間違いないようで,われわれもその点,大いに警戒すべきである,という意見には同意します。そもそもウランの臨界量は22.8kgほどで,球だと直径8cmくらいです。プルトニウムだとそれぞれ,5kg,4cmほどです。フォーサイスが "第4の核" で書いていますけど,カバンに入る小型核というのも簡単に作れるようです......[台風]

もっとも,プルトニウムだと持っているだけで死に至るそうなので,プルトニウムではテロは無理だと思いますが......。


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市川浩著 "ソ連核開発全史" [海外]

2022年1月13日の日記

ソ連核開発全史s.jpg

今日は13日の金曜日です......[台風][台風]

と言うわけではないですが,ちくま新書の "ソ連核開発全史" を読みました。先週の日経の書評に出ていて,面白そう,と思いました。

iruchanが子供の頃,まだ冷戦真っ盛りで,いつか,iruchanの頭上にソ連からミサイルが飛んでくる.......って思っていました。

実際のところ,世界はいつ,そうなってもまったく不思議ではない状況で,ソ連からの情報と言えば,不鮮明で不気味な冬のクレムリンの映像に始まって,これまた不機嫌そうな態度のブレジネフ書記長が訳のわからない言葉で西側を非難して脅している演説だし,お隣の中国も毛沢東が健在で,こちらも似たような映像のニュースばかりでした。技術が低いのか,どちらも不鮮明で画質の悪い映像なのも不気味さを増大していました.....。

かと思うとヴェトナムでは連日,空爆のニュースが出ていて,ニクソンや,今も覚えていますけど,マクナマラ国防長官がまた,不機嫌そうにヴェトナムの戦況を伝えている,という状況でした。マクナマラが広島,長崎に原爆を落とす計画を推進した一人,ということはiruchanも子供ながらに知っていました。

中東では毎年のように戦争が続いていて,なにより片眼のイスラエル国防相だったダヤンがチョー怖かった......。

フランスはまだド・ゴールが健在で,ダヤンもそうですけど,ド・ゴールもいつも軍服を着ていて,もう,ずいぶん経つのに,まだ第二次世界大戦真っ盛り,という感じで,「こいつ,いつまで戦争してんだよ」って思っていました......[雨]

そういや,隣のスペインには独裁者フランコがいて,iruchanは彼の死亡記事(1975.11.20)を覚えています。

と言う子供時代を経験しているので,この本は読んでみたい,と思いました。

さすがに,この広島大学にお勤めの先生があとがきに「卒業論文として書いた」と書いているように,旧ソ連の核開発の概要を一冊の本にまとめた労作で,驚くべきことに昨年2月のロシアのウクライナ侵攻まで記述してあり,最新の情報が出ています。

ソ連は,第二次世界大戦末期,ドイツ侵攻時にナチス・ドイツの核施設を接収し,大量のウラン鉱石や濃縮ウランの他,各関連設備や科学者,従業員を連行したことで知られています。

このとき,本書ではどこで接収したかは書かれていませんが,粗精製ウランを100トン接収した,と書かれており,以前読んだ,Michael Dobbs著 "Six months in 1945" には,ベルリン近郊のAuer社の工場に1,000トンの濃縮ウランが残っていた,と書かれています。本書は量が違いますけど,大量に原爆の原料を入手していたのは間違いないようです。

一方,アメリカのロス・アラモス研究所にもスパイが潜入していて,アメリカの核開発の状況はスターリンは手に取るようにわかっていた,ということも知られています。広島への原爆投下も,実行される日まで知っていたらしいです。

しかしながら,従前,よく言われるように,ソ連の核兵器はアメリカに潜入したスパイのもたらした情報に基づいて,いわばアメリカの知識と技術を窃取したものだ,と言うのは誤りである,と指摘しています。

至極当然の見方ではないでしょうか。スパイがもたらす情報というのはあくまでも断片でしかなく,原子爆弾が製造できるノウハウの仔細にまで至るものではないでしょう。

        ☆          ☆          ☆

1939年2月,ドイツのハーンと学生のシュトラスマンが核分裂の論文を発表し,各国が原爆の開発を開始します。

そもそも,ウランの原子核に中性子をぶつけると原子核が分裂し,その際に膨大な熱が出る.......なら,爆弾ができるじゃないか,と科学者が考えてしまうのは当然の帰結かもしれない,と想像しますが,その後の世界を考えるとあまりにも残念な着想だと思います。本当に,このとき,人類はまさに "パンドラの箱" を開けてしまったのだと思います。

もっとも,ハーンは化学者で,ウランに中性子をぶつけたらバリウムが検出された,どうしてこうなるのか,理由がわからない,ということでかつての同僚だったリーゼ・マイトナーに手紙を送り,原子物理学の学者だったマイトナーは原子核が分裂したことを直感し,甥のフリッシュと解析して,その事実を証明します。

ハーンとシュトラスマンは1944年にノーベル物理学賞を受賞しますけど,マイトナーは授賞されていません。

本書には書かれていませんが,彼女がユダヤ人で,スウェーデンに亡命後も定職がなく,毎日なんとか食いつないでいた,というくらい冷遇されていたのも,また,ノーベル賞委員会も彼女がユダヤ人であり,女性であることから選考から外したらしく,人種差別,女性差別ではないかと指摘されています。また,何故に戦時中に授賞する必要があったのか......戦後,広島・長崎への原爆投下後になっていたら,ずいぶん変わっていたのではないでしょうか。また,もちろん,当然,マイトナーとフリッシュは授賞されるべきです。

ハーンはアーリア系,と言うことからか,ドイツに戦時中も残っていたし,そもそもノーベル賞の受賞が1944年ということなので,ナチス・ドイツも彼の受賞を傍観し,原爆の開発を軽視していた訳ではない,と思います。ハイゼンベルクもドイツにいて,彼がソ連の手に渡る前にアメリカが彼の身柄を確保するのですが,一般に,ナチスは今次大戦の終結までに原爆は完成しない,と考えて原爆開発に莫大な経費を使って注力していた訳ではない,というのは事実としても,ナチスが原爆を手にするのも時間の問題,だったように思います。

ソ連では,科学アカデミー内に研究チームを設け,原爆の研究がスタートします。

1944年にはモスクワにサイクロトロンが完成し,核分裂の実験ができるようになるのですが,マンハッタン計画とは比べものにならないくらい,小規模な研究体制だったようです。

しかし,1945年8月の広島,長崎への原爆投下を契機に研究を加速し,最初の原子炉Φ-1(F-1)が1946年12月に臨界を達成します。

このΦ-1炉の写真が載っているのも驚き。

1942年12月に臨界となったフェルミが作ったシカゴ大学のパイル-1はそれこそ,黒鉛のブロックを積み上げて初期のピラミッドみたいな形にしただけで素朴な感じがするのと異なり,こちらはかなり本格的で,黒鉛の角棒の真ん中に丸い穴を開け,そこにウランの燃料棒を挿入する,と言う構造で,のちのチェルノブイリ原発につながる本格的な原子炉です。

すぐにプルトニウム量産用のA-1炉を完成させ,1949年8月29日にセミパラチンスク実験場で,PдC-1(RDS-1)原子爆弾が炸裂します。

この爆弾の威力が不明なのですが......。写真も載っていて,TNT火薬換算で20ktとされる長崎に投下されたファットマンとそっくりなのは驚きます。

一応,ネットに出ている情報では,威力は22ktだったらしく,ファットマンとほぼ同じです。やはりこのあたり,アメリカに潜入したスパイの情報なのか......。

一方,広島型のウラン型原爆であるPдC-2は1951年9月24日に実験されました。アメリカと順番が逆なのが興味深いです。こちらもネットの情報ではTNT火薬換算で38.3ktだったようですが,広島のリトル・ボーイが15ktだったようなので,倍以上の威力があったことになります。

要は,北朝鮮の原爆もそうですが,黒鉛型原子炉は天然ウランが使用でき,かつ,このタイプの原子炉を使うと,燃料棒中にウラン238が変化したプルトニウム239が蓄積され,あとは化学的処理で比較的,容易にプルトニウム239が得られるのに対し,ウラン型原爆は天然にはほとんど存在しない,ウラン235の濃縮が必要で,こちらの技術開発に手間取った,と言うことなのでしょう。

もっとも,プルトニウムは核分裂反応が速く,起動時には一度,爆縮と呼ばれる過程が必要で,全プルトニウム塊に核分裂の連鎖反応が行き渡るまで,固体を維持する必要があります。そのため,通常火薬による点火装置の機構開発が大変で,アメリカもトリニティサイトで事前に実験したのもその理由ですし,北朝鮮の最初の核実験(2006年10月9日)がアメリカの報告では失敗,とされているのも,十分にプルトニウム塊が核反応を起こしていなかったため,のようです。

ちなみに,広島に,事前に試験をせず,一発勝負で濃縮ウラン型爆弾を投下したのはアメリカもよほど自信があったのだろう,と思います。広島では失敗が許されないので,ウラン型を使用し,長崎では,別のプルトニウム型を使った,というのは実際に現地で実地試験をしたのだ,と思っていますし,なによりスターリンに,「オレは2種類も持っているぞ」というデモンストレーションであったはずです。だから,一発目は絶対に失敗が許されず,確実なウラン型を使ったのでしょう。のみならず,それ以前に,もはや戦争遂行能力なんて残されていない日本に,追い打ちをかけるように,わざわざ原爆を落としたこと自体,スターリンに対する強烈なメッセージが目的だったのだ,と考えています。

        ☆          ☆          ☆

この本のおかげで,旧ソ連の核開発の概要がよく理解できました。新書,と言う形態のため,図が小さくて見にくいのと,チェルノブイリの原発事故について,紙幅の制限があったのでしょうが,もう少し知りたい,と思いました。

それにしても旧ソ連の核開発の状況がよくわかりました。最新の研究成果も載っていて,良書とはまさしくこの本のことです。皆さんにお勧めします。


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