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キャサリン・バーデキン著 “鉤十字の夜" [海外]

2020年9月19日の日記

鈎十字の夜.jpg

第2次世界大戦で枢軸側が勝利していたらどうなっていたか......。

こういう歴史とは異なる設定の小説は歴史改変小説と言うそうですが,結構面白いですね。また,その予想される結末として,全体主義の勝利による人権無視,強圧的政権の支配による監視社会の到来というのは実におそろしいことです。

以前も,ロバート・ハリスの "ファーザー・ランド" やレン・デイトンの "SS-GB" を読みましたけど,特に前者はとても面白かったです。どちらもTV映画化されているらしいので,見てみたいです。

この小説もそれらの歴史改変小説のひとつで,今年初めに水声社から出版されました。原題は "Swastika Night" です。ナチスの鉤十字はHakenkreuzというのはドイツ語で,英語ではswastikaです。

出版されたとき,日経の書評で読んで,読んでみたい,と思っていました。

そもそも,この小説,他のナチス関連の歴史改変小説とかなり違っていて,原著の出版が1937年で,しかも作家は女流で,英国人とのこと。

まだ,日米間はもちろん,欧州でも戦争は始まっていませんが,英国の敗戦を予期し,ナチスドイツが支配する欧州を舞台にしている,ということが年始の話題になっていました。

英国がドイツに負ける,という悲観論は第2次世界大戦の前に広まったわけでなく,すでに19世紀末の,繁栄を極めたヴィクトリア朝の時代からであったことはよく知られています。

以前読んだ,クリストファー・クラークの "夢遊病者たち" にも,20世紀に入る前にはドイツのGDPはすでに大英帝国をしのいでいて,ライプチヒ生まれで母や妻がドイツ人で,ドイツ通だった英外務省の官僚であったクロー(Eyre Crowe,1864~1925)が1907年1月に出版した,"英国と今日の仏独関係に関するメモ"(”Memorandum on the present state of British relations with France and Germany“)においても,いずれ英国は政治的にも軍事的にもドイツに敗北する,という警告がなされています。文化人もサキなどが英国の敗北を予感した小説を書いていますね。

とはいえ,この小説はやはり異質で,作家自身が女性だと言うことがわかったのは1980年代のことらしく,出版時は男性名(Murray Constantine)になっていて,後の英文学研究者が当時の出版関係者を調査して判明したらしいです。彼女はドイツの英国侵攻を予想し,子供を守るため,偽名を使って小説を出版した,とのことです。

ところが,どういうわけか,Amazonでもマーケットプレイスの商品でAmazon直販じゃありませんし,すでに古本として売られていて,手に入りません。しかたないので,近くの図書館で,それもずっと誰かが借りていて,なかなか借りられなかったのですが,ようやく借りて読むことができました.....orz。

     ☆          ☆          ☆

”ファーザー・ランド” などの小説の舞台が1960年代くらいなのと異なり,舞台は27世紀。ヒトラー暦(!)720年,ということからも,冒頭から何か異常なものを感じます。

そのほか,とにかく不思議なことばかり。奇書,というのがやはり読後の最大の感想です。

そもそも,"ファーザー・ランド" や,"SS-GB" では第2次世界大戦にどうやってドイツが勝利したか,というのが書かれていますが,本書は一切書いていません。

まあ,執筆されたのがこれらの小説と違って開戦前,というのがあるにせよ,ドイツがいかにして欧州とアフリカを支配したか,ということはまったく触れていません。

一方で,日本は対米戦に勝利し,アジア,オセアニア,南北アメリカを支配しています。

日独は仲が悪く,実際に戦火を交えた時期もあったようですが,いまは休戦し,緊張があるものの,一応の平和が保たれている,と言う状況のようです。

しかし,読者にとっても正直,アジアや日本の状況はどうでもよい,という感じです。そこには恐るべき欧州の実態が描かれています。

総統が支配する神聖ドイツ帝国が欧州を支配し,属国の英国人である飛行機エンジニアのアルフレッドが主人公です。

驚くべきことに,彼はエンジニアなのに,うまく字が書けないし,それどころかドイツ人の友人のヘルマンは字が読めません。一体どういうこと.....????

それに,27世紀なのに,飛行機がまだ空気力学的に飛んでいる,というのも信じられないのですけれど.....その頃には何らかの反重力装置が開発されて,UFOみたいに飛んでいるんじゃないの,とiruchanは予想しているのですが,フツーの飛行機のようですし,それどころか動力源はエンジンで,それもまだレシプロエンジンのようです.....。かと思うとラジオは真空管式だし,まあ,1937年という時点ではトランジスタはまだ影も形もないし,小松左京がTV電話をブラウン管式と書いているように,さすがにSF小説家も想像力が及ばず,未来が完全に予見できないのは仕方ないのかもしれませんが,それを除外しても,何か変な社会です。

おまけに社会もとんでもない社会になっていて,完全に男性優位の社会になっていて,女性は強制収容所に隔離され,生殖以外の社会的役割を持たされていません。男の子は生まれて6週間後には隔離され,別に育てられる,という社会だし,ヒトラー暦という名前からもわかるように,あらゆる面でヒトラーが神格化され,ヒトラー教なる宗教が国是となっています。彼は出産により生まれたのではなく,突然現れ,ドイツ人を指導した,ということにされています。キリスト教が迫害され,キリスト教徒は動物以下とされて,ゲットーで暮らしている,と言う状況です。

支配階級も変で,エリートは騎士と呼ばれ,広大な領地を所有し,裁判権まで有しています。

まるで中世のような社会になってしまっていて,とてもこれが未来の世界とは思えない状況が描写されます。

はっきり言ってトンデモ小説だと思ってしまうのですが,意外に面白く,途中で止めてしまおう,なんて思いませんでした。よく言われる,Page Turnerであることは確かです。

こういった社会になってしまった理由は,枢軸側が戦争に勝利した経緯と同様,なかなか明らかにされません。要は,ヒトラー主義の確立に伴い,歴史をドイツ人の都合のよいように改変し,一切の過去の歴史の痕跡を取り除くべく,ありとあらゆる書物を焼き,絵画や歴史的建造物を含む歴史上の遺産を破壊し尽くしてしまった結果,というのが理由のようです。

まあ,おそらくそう言う状況だから,国民は字が読めないし,また,過去の歴史についてはまったく知りません。技術についても過去の知識の蓄積なわけですから,技術も退化した,ということなのでしょう。

そうした中,アルフレッドはひょんなことから一人の騎士に出会い,彼は先祖が記した歴史書を密かに所有していて.....というのがこの本のヤマ場です。

     ☆          ☆          ☆

ただ,それにしても読んでいる途中でも既視感を覚えました。

はるか未来なのに,文明が退化し,中世のような社会......なんてナウシカの世界ですよね。

じゃ,核戦争でも起こって世界が破滅したのか,と思ってもバーデキンは書いていません。ナウシカだとそれを思わせる火の7日間戦争,というのが出てきますけど.....。まだ原子爆弾なんて,想像の範囲外だったのでしょう。この本は原書でも今まで,ほとんど知られていない小説だったので,さすがに宮崎駿さんは読んでいないと思います。

思想の統一,世界の全体主義による分割支配,創始者を神格化する新宗教の観念の確立,異端者の迫害,歴史の改変.....というのはジョージ・オーウェルの "1984年" ですよね~。

そう思って読んでいたら,訳者もあとがきでそう指摘しています。オーウェルの1984年は出版が1948年で,バーデキンより後なので,オーウェルもこの小説を読んだのではないか,と書いています。主人公が最後に破滅するのも同じです。

それに,本が政治的に抹殺される.....なんてレイ・ブラッドベリの "華氏451度" ですよね。

iruchanはこれはトリュフォーの映画(1966年)でしか見たことがなくて,小説の方は読んでいないのですが,出版は1953年なので,こちらもバーデキンからヒントを得たように思います。 

オーウェルの "1984年" を読んだときでもそう思いましたけど,隣の赤い巨大な国を初めとして,世界中で人権を軽視した強権的な政治手法がはびこり,世界がどんどん右傾化して社会の進化が止まったというより退化しつつある,21世紀の今日,改めて読むべき小説だと思いました。


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