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Adam Higginbotham著 "Midnight in Chernobyl: The Untold Story of the World's Greatest Nuclear Disaster" [海外]

2024年4月25日の日記

Midnight in Chernobyl.jpg

Adam Higginbotham著 "Midnight in Chernobyl" を読みました。

2011年の福島第一原発の事故以後,改めてチェルノブイリ原発の事故はなんだったのか,調べてみたい,と思いました。

1986年4月26日土曜日の未明,旧ソヴィエト連邦のウクライナにある,チェルノブイリ原発の4号炉が爆発し,大気中に大量の核物質を拡散させました。

当時は鉄のカーテンの向こう側は情報が統制されていて,ソヴィエト当局は事故を隠蔽し,翌日,西側での第一報をもたらしたのは隣国スウェーデンのフォルスマルク原発の技術者で,原発内の放射能レベル計の数値が急増したのに気づいたためです。

iruchanは当時,大学生でしたけど,確か,そのニュースはニュースセンター9時(古っ!)で見たのが最初か,と思います。まだ,確か,放射線レベルの異常が観測されたが場所は不明,ソ連のどこか,というような内容だったと思います。

その後,連日,新聞の片隅に東京や大阪などの放射線レベルが載っていたのを記憶しています。確か,当時の単位はシーベルトではなく,ベクレルだったように思います。

まさか,その四半世紀後,全く同じような放射線レベルの表示が毎日,新聞に載り,その発生源が日本とは思ってもみませんでした.....。

と言う次第で,改めてチェルノブイリ原発の事故はどのような原因で発生し,どのように処理されたのか,知りたいと思ってこの本を手に取りました。

          ☆          ☆          ☆

1986年4月25日の金曜日,ウクライナのチェルノブイリにある,チェルノブイリ原発4号炉は明日からの定期点検に備え,この日,シャットダウンすることになっていました。

その前に,技術者たちはひとつの実験を計画していました。

すべての外部電源が喪失したこと(!)を前提として,その場合の原子炉の冷却のため,原子炉の余熱で発生した蒸気で主発電機のタービンを回転させ,発生した電力で冷却水ポンプを稼働させることが可能か,と言う実験でした。

福島の事故と同じ状況を想定していた,と言うのに驚きます。もちろん,原子炉は停止したから,と言ってすぐに低温になるわけではなく,福島の事故でも明らかなとおり,ずっと冷却し続けないと温度が下がらず,その間,蒸気を発生させることは可能で,チェルノブイリの技術者たちはその余熱を利用して原子炉を冷却できないか,と考えたようです。

この日,配電担当者はメーデーの祝日を控えて電力需要が大きいため,試験の開始を午後9時からとするよう,指示していました。

原子炉の停止許可を受けて,4号炉の制御室は徐々に出力を絞り始めます。試験は72万kWの状態で始めることが予め決まっていました。ちなみにこの原子炉はソヴィエト最大の100万kWを誇るRBMK-1000という,黒鉛減速沸騰水型原子炉です。詳しくは後で書きます。

ところが......。

副主任技術者のDiatrovは出力を20万kwにするよう,命じます。試験指示書では70万kW以下にしないこと,と書かれていたにもかかわらず,でした。

出力20万kWというのは危険な領域であることはすでに知られていて,原子炉が不安定になる,と現場監督のAkimovは抵抗しますが,上長の指示に渋々従い,運転員のToptunovは出力を下げています。

案の定,と言うべきか,原子炉は3万kWまで出力が低下してしまいます。

一方,冷却水ポンプは主発電機と接続されたままで,このような低出力では水量が足りないため,ポンプ担当者は最大出力として,大量の水を原子炉に注水します。水は減速材なので,高速中性子を減速させ,235Uの核分裂を促進させる作用があることはご存じのとおりです。

このとき,炉内では中性子吸収元素である,135Xeが発生し,いわゆるキセノン炉という状況になっていました。こうなってしまうと出力を上昇させることは困難な状況で,このまま試験を継続せず,停止すべきで,実際,そのような意見も出たようですが,Diatrovは試験を強行します。

運転員のToptunovは出力を増加させるため,すべての制御棒を抜き,最高位置に上昇させていました。

翌,午前1時23分,出力が20万kWになり,試験を開始します。タービンは2,300rpmで安定し,試験終了が告げられます。AkimovはAZ-5の起動を指示し,Toptunovがそのボタンを押しました。

AZ-5はソ連製原子炉に備わっている緊急停止装置で,中性子吸収のためのボロンとカドミウムからなる制御棒を炉心に挿入する装置です。制御棒をすべて原子炉に挿入し,原子炉が停止する.......はずでした。

しかし,どういうわけか,このAZ-5は欠陥があり,そもそもすべての制御棒が挿入されるまで,21秒もかかる設計でした。

何かの意図があって,おそらく送電網への影響を軽減するため,わざと遅らせるようになっていたようです。ちなみに震災発生時の福島第一原発の場合は2秒で挿入され,原子炉がまずは安全に停止しています。

おまけに,旧ソ連の原子炉のこの制御棒の先端半分は高温に耐えるため,黒鉛でできていました。

黒鉛は減速能が大きく,中性子を大幅に減速させます。ということは連鎖反応を拡大する方向に作用します。

さらに,制御棒が原子炉に挿入されたため,冷却水の流路が狭まり,沸騰して燃料棒が露出し,原子炉下部は連鎖反応が急激に拡大します。

もはや記録装置の記録が追いつかないほど急激に原子炉出力が上昇し,定格の10倍以上もの出力となり,炉心温度は3000℃を超えました。このときの出力は1200万kWと推定されていますし,炉心温度も4650℃になった,と言うが現在の推定です。

1時24分,大音響とともに4号炉は爆発します。爆発規模はTNT火薬換算で0.6ktと推定されています。1000tを超える金属製の圧力隔壁を吹き飛ばし,炉内の燃料と黒鉛20~30tともに,放射性物質の131I239Np137Ce90Sr239Puなどを大量に大気中にばらまくことになります。プルトニウム239は人類にとって最高に危険な物質,とされていますね。高温の黒鉛は大火災を引き起こし,決死の消防隊員が消火に努めることになります。

こうして,運転員など原子炉関係者および消防員など31名が死亡し,5月3日から周辺30km圏の市民13万5000人が避難する事態となりました。現在も帰還困難区域が広がり,人間の立ち入りが厳重に禁じられているのはご存じのとおりです。

          ☆          ☆          ☆

そもそも,まずはどうすればよかったのか......と言うことですが,緊急停止装置のAZ-5を使用せず,制御棒を1本ずつ,ゆっくりと挿入して通常の停止処理をしていればよかった,という意見もあります。なぜ,AZ-5を使って停止させたのか,は謎ですし,当時は簡単にプラケースで保護してあるだけの簡単なスイッチだったようです。

また,原因としては,このような人的ミスが直接の原因なのでしょうが,システムの欠陥が最大の原因だと思います。

なんで黒鉛を減速材として使用していたのか.....。

フェルミがシカゴ大に作った史上初の原子炉もそうですし,世界初の商業炉とされる(これはウソでしたけどね)英国のコールダーホール原発もそうですが,これはプルトニウムを製造するため,です。実際,北朝鮮の原子炉も同じ構造なのはそういう理由です。

黒鉛は減速能が大きく,低速中性子を量産できるため,天然ウランが使用できるのが初期の原子炉で用いられた理由のひとつですが,高速中性子を核分裂しない238Uに照射すると,最終的にプルトニウムに変化するのが軍事的メリットで,後は化学的処理でプルトニウムを抽出すれば,原子爆弾の原料が入手できるから,です。

ソヴィエトはそれを利用し,水を沸騰させて蒸気を作れば発電ができるな,と考えてRBMKのような黒鉛減速炉を開発しています。

しかしながら,この構造には根本的,原理的な欠陥があります。

水も減速材として作用するので,日本や西欧各国が採用している軽水炉では水がなくなった場合,減速材は水のみなので,炉内は減速されない高速中性子ばかりとなり,連鎖反応が停止する,と言うフェールセーフ性がありますが,旧ソ連製の原子炉では水がなくなっても黒鉛があるため,連鎖反応が継続します。

さらに,旧ソ連製の原子炉は沸騰水型なので,核燃料内で水が沸騰し,燃料棒の表面が蒸気の気泡(ボイド)で覆われて露出するようになると,水自体,減速材であると同時に吸収材でもあるので,それがなくなるということは燃料棒に照射される中性子が増え,連鎖反応が促進されます。これがプラスのボイド効果ですね。おまけに水がない,と言うことは冷却されなくなるわけで......。

もし,福島の原子炉が沸騰水型でなく,関西電力など,西日本で多い加圧水型だったらどうだったか....ということを指摘する人がいらっしゃいます。

加圧水型だと原子炉内では水は沸騰せず,液体のままなので,もし,かりに全外部電源を喪失し,冷却ポンプが動かなくなっても,水が原子炉内に存在してあの事故は回避できたのではないか,という主張です。

iruchanは原子力の専門家じゃないので,何にもわかりませんが,もし,加圧水型炉だったら何とかなったんじゃないか,と言う気はします。

さらに,RBMK-1000型炉の制御の問題は早くから指摘されていて,だからこの前日の実験でも想定出力は72万kWとされていた訳ですし,実際,1975年11月30日にはレニングラード原発の1号炉がAZ-5の投入に際して一部炉心溶融した事故があったのですが,主因として正のボイド効果とされていましたが,より重大なのはAZ-5の問題でしたが,隠蔽されました。

そのほかにもこのチェルノブイリ4号炉とリトアニアのイグナリーナ原発1号炉でも開業早々,1983年の年末,定期検査後の起動試験で,AZ-5の欠陥が明らかになります。

もし,30本以上の制御棒が挿入されていれば,安全にAZ-5の操作により原子炉は安全に停止しますが,7本以下だと暴走し,炉が破壊する,と言うことがわかります。

システムの重大な欠陥で,当局は隠蔽しようとしたのか,情報が技術者に共有されなかったのも大きな問題です。それにしても,実際,現場にいたDiatrovらはこれを知っていたのか......。

最後に,そもそもチェルノブイリにしろ,福島にしろ,原因は想定外とされることが多いですが,間違っていないでしょうか。

どちらの場合も,システムの不備が最大の原因と思います。

チェルノブイリの場合はすでにRBMK-1000型炉やAZ-5の構造的な欠陥がすでに明らかになっていましたし,AZ-5の誤操作による致命的な事故になることも予期されていました。

福島の場合も前年に大地震で13mの津波が押し寄せる危険性がすでに指摘されていましたが,もし,仮に津波でなくても,大雨や排水設備の故障などで,非常用ディーゼル発電機を地下に設置していれば,水没する危険性があることを予想できなかったのでしょうか。

エンジニアリングに携わる者は,常に最悪の事態を想定し,細心の注意を払って設計すべき,と思います。特にヒューマンエラーの介在する余地がある場合は徹底的に排除し,なおかつ,それが生じた場合でも速やかに安全な処置ができるよう,設計すべきである,と思います。

今年もまた,2005年4月25日に発生した,福知山線の脱線事故の日が来ました。

これも,運転士によるヒューマンエラーと,その運転士を追い込んだ,会社の人事・教育体制が原因とされていますが,iruchanはこれもシステムの不備が原因,と思います。

もし,ATS-Pを入れていれば,なんの問題もなく,事故は防げたはずです。

大昔に速度照射つきのATSを導入している阪急や阪神なら絶対に起こらなかった事故です。ゲーム好きな人なら,これらの私鉄の電車を運転するとすぐに速度超過でゲームオーバーになるので,お気づきのことと思いますが,これはATS-Pのおかげです。

なぜ,1967年に私鉄に速度照射つきのATSの導入を指示(運輸省 昭和42年鉄運第11号通達)したのに,国(運輸省)は国鉄に求めなかったのか......。そして今もなお,JRにはそれを求めていないのか.....。

福知山線脱線事故はシステムの不備とともに,国の不作為が最大の原因だと思います。

余談ですけど,NHKのドラマ "原発危機 メルトダウン~福島第一原発 あのとき何が~" で,大杉漣が吉田所長役で出ていましたけど,炉心の圧力が600kPaとなったと聞き,絶句するシーンがありましたけど,こんなの大した圧力じゃない,と思うんですけど......6気圧なわけですけど,水道だって5気圧くらいはありますし,ボイラーを使っている蒸気機関車のD51だって常用圧力14気圧(1373kPa)です。そんなに福島原発って,圧力が低い設計だったのでしょうか。

          ☆          ☆          ☆

New York Timesでベストセラーになった名著です。綿密なインタビューと膨大なロシア語を含めた資料を読んだ大変な労作です。原子力や事故,エンジニアリングに興味のある人に勧めます。

ぜひ,筆者には10年後,"Evening in Fukushima" という本を書いてもらいたい,と思っています。

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ロンドン書店めぐり [海外]

2024年2月12日の日記

なんとか5年ぶりにロンドンを再訪してきました。さすがにコロナのせいで,まったく海外にも行けず,またiruchanは国際関係の仕事をしているんですが,これもコロナのせいでオンラインの国際会議ばかり,でした。

おまけにiruchanはもはや親会社にいなくて別の職場なのですが,コロナ後,再開した国際会議には出られず,親会社の人間が行く,と言うことになると「お前は行かなくていい。」なんて次第で,頭にきていました[台風]

と言う次第ですが,ようやくロンドンに行くことができました[晴れ]

いろいろ,ストーンヘンジや科学博物館やラジオの送信所など,一通り,行きたいところを回ってきました。科学博物館は20年ぶりですが,ラジオの送信機が新たに展示されるようになったし,またニューコメンの蒸気機関もまた見てみたいので,行ってきました。

詳しくはこちらへ。

さて,今日は本屋さんめぐりをしてみたい,と思います。

☆FOYLES

FOYLES1.jpg

FOYLES.jpg 老舗の大きな本屋さんです。

ここはロンドン市内に何軒かある店の本店です。ロンドンでは有名な大型書店で,iruchanも最初にロンドンに行ったとき,すぐに行きました。

今も健在で,多くの本好きで賑わっていました。

ソーホーにありますが,地下鉄のトッテナム・コート・ロードの駅が近いです。チャリングクロス通りに面していて,コヴェント・ガーデンやナショナル・ギャラリーからも近いです。

夏目漱石がチャリングクロス通りの古本屋めぐりをしていたことが日記に書かれていますが,FOYLESは漱石が帰国した翌年(1903年)に開店しているので,漱石は来ていないでしょう。

なお,英国に限らず,どこも欧米の書店と言うのはちょっと日本の本屋さんと違い,雑誌はあまり置いていません。FOYLESは,全くない,と言っていいでしょう。あくまでもBookshopというのは単行本やペーパーバックなどを置いている店,というわけです。

店内は6Fまでありますが,互い違いにフロアーが広がっていて,各階は分野ごとの専門書店,という感じです。最上階に上品なカフェがあるのが驚きで,ここでゆっくり本が読めますし,日によってはジャズの生演奏が聴けるそうですが,iruchanが行ったときはそういう日じゃなかったようです。

HistoryやHobby,Scienceといった具合にフロアが分かれていて,ものすごい数の専門書に圧倒されます。

驚いたのは1Fの奥にMangaというコーナーがあることで,やはり欧米でも日本のマンガはとても人気なんですね~。

ワシントンでもどこでも,欧米の本屋さんには必ずMangaのコーナーがありますが,ここも大変充実しているし,なにより1Fの一番,店としては "売り" のコーナーにあるのは日本人としてもうれしいです。1Fの1/8位は占めているんじゃないでしょうか。

おまけにJosei Mangaなど,日本マンガ特有の単語の解説が店員さんの手書きポップで書かれていました[晴れ]

☆Skoob Books

SKOOB books.jpg

なんか,とてもきれいな古本屋さん。店はB1Fです。

ここは古本屋さんです。以前,ワシントンでも古本屋さんめぐりをしましたけど,ロンドンでも何軒か回って見ました。

やはり,どこの古本屋さんもHistoryのカテゴリが充実していて,英国人の歴史好きはよくわかります。

中国人らしい,若い女性が店主とたどたどしい英語で話をしていました。「私は本が好きで,読めないけれど,このお店に来て感激している。」なんてしゃべっていました。そうですよね。本の好きな人ならたとえ読めなくても,本屋さんに入ってみたいですよね。

iruchanも20年前はこんなものでした。英語もロクにしゃべれず,本なんて読むこともできませんでしたけど....。

今は海外に行ったら,最後に空港の本屋さんを覗くのが楽しみです。

   ☆          ☆          ☆

何軒か,ロンドンの書店と古書店を回ってきました。

感づいたのはどこも人で賑わっている,ということ。また,ほかにもたくさん市内に本屋さんがあり,どこも閉店している,という感じではありません。

書店がどんどん消えている,というのはどうも日本だけの現象らしく,新聞でも読みましたが,ネット書店の影響はあまり海外では大きくないそうで,日本もネット書店の影響は同じでしょうから,日本の書店が消えているのは別の理由があるようです。

日本の書店が減っているのは,店主の高齢化と後継者難が原因と言われますが,それは全職種で同じはずですから,そればかりではなさそうです。

原因は書店の収入の大部分を占めている,雑誌が売れない,ということに尽きるのではないか,と思います。

今の雑誌の低レベルなことはiruchanも呆れています。

正直,ネットに出ているような中身ばかりで,これだったらわざわざお金を出して買わなくても,という雑誌ばかりなのが問題,と思います。

雑誌が売れないので,どんどん雑誌を作り,その分,1冊ごとに投資すべきコストが減り,低レベルな,写真ばかりの内容のない雑誌がどんどん増え,それじゃ,つまらないので読者が減り,雑誌の発売部数が減るので,利益をあげようと,さらに新しく雑誌を作る,という悪循環に陥っているのではないでしょうか。

iruchanの大好きな鉄道だって,今,いったい何誌あるのでしょう。

老舗3誌(ピク,ファン,ジャーナル)だけで十分じゃあ,ないでしょうか。

これら老舗3誌以外はインターネットを見れば十分,と言う内容で,写真ばかりだし,その写真にしたって,インターネットにはアマチュアが撮影した,雑誌には出ていないような貴重な写真もあって,むしろこのような雑誌を買うより,インターネットで十分であるばかりか,むしろ,インターネットの方がよい,という内容なんじゃないでしょうか。

昔は毎月,21日の鉄道雑誌の発売日には本屋さんの鉄道雑誌のコーナーは人だかりがしていて,とても立ち読みなんてできない状況でしたが,今は閑散としていて,余裕で立ち読みができます。

鉄道雑誌って,雑誌の中でも一,二を争う人気分野でしたけど,今はこんな状況です。

これが今の日本の出版界の問題なのじゃないでしょうか。

それに,取次制度のせいで,書店は必要な本や雑誌を自由に置くことができません。売れない雑誌をヤマと送ってきて,それを並べるのも人手が足りないし,場所も足りないのに,全然そういう雑誌は売れない,という状況なんじゃないでしょうか。

FOYLESは新刊書店ですが,雑誌は扱わず,専門誌を読者にわかりやすく並べて読者を引きつけています。

日本の本屋さんや出版業界はこういう商売をすべきではないでしょうか。

読者はインターネットを使って検索しても本好きの人は実際に手に取って,中を見てみたい,と思うものですし,こういったFOYLESのような大きな本屋さんがあれば,インターネットで検索できる以外の本が見られるかもしれないし,仮に見つけたとしても中身が見られないんじゃ,困るのでこういう本屋さんに来て,実際に中を見て,買うんじゃないでしょうか。

それに,FOYLESは大きいし,最上階にカフェもあるので,本好きな人なら1日過ごせそうです。こういう雰囲気のお店が日本にあるでしょうか。

久しぶりにFOYLESなどの本屋さんを見て,逆に日本の深刻な状況がよくわかりました。


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白井久夫著 "幻の声NHK広島8月6日" [文庫]

2023年12月17日の日記

幻の声.jpg

とうとう,日本のAMラジオは終焉の時を迎えつつあるようです

民放は2028年までにFMに移行することが決まりましたし,NHKも,第2放送を2025年度には打ち切る予定です。

2028年以降も,北海道放送と秋田放送はAMを継続すると宣言していますし,NHKは第1放送は継続されるので,AMラジオが終わってしまうわけではありませんが,2028年以降,日本の大部分ではNHK第1のみ,という状況になりそうです。

それで,改めてAMラジオのことを調べているんですけど,広島の放送局について調べていたら,こんな記述にぶつかりました。

1945年8月6日の原爆投下直後,ラジオから,

「こちらは広島中央放送局でございます。広島は空襲のため,放送不能となりました。どうぞ,大阪中央放送局,お願い致します。大阪お願い致します。お願い致します......」

と女性の声でアナウンスがあり,30分ほど続いたあと途切れたという投書が,現在は福山に住んでいる女性から筆者の元に届いた,というのです。

そういえば,iruchanは,ちょっとこの話を覚えていました。残念ながら,もう,すっかり忘れていて,ネットで見つけて思い出した,と言う次第です。

その後,筆者が制作した番組が放送されたようですが,さすがに1975年3月のことらしいし,ラジオだったので聴いていないと思います。ただ,NHK特集だったか,何かの番組で見た記憶があります。

名作アニメ "この世界の片隅で" で,広島放送局が沈黙し,岡山局が「応答してください」と呼びかける場面が描かれていますが,広島からもあとで書きますが,先ほどの女性の放送のあと,数時間経ってから,男性が他局への連絡を呼びかける放送を日中行ったようですが,ただ,女性の声で投下直後に放送があった,と言うのは本当だったのか,もし,本当だとしたら誰が放送したのか......と言うのがこの本のテーマです。

とはいえ,iruchanも最初,この記述を見つけたとき,ウソだろう,と思いました。戦中,戦後にあまたある幽霊話や怪談のひとつではないか......と。

そもそも,当時,広島放送局は上流川町にありましたが,爆心地から1kmほどしかありません。また,この本の冒頭に写真がありますけど,周囲は一面の焼け野原でめぼしい建物はこの放送局ともうひとつある(おそらく,現存する福屋百貨店ではないかと思います)だけで,局員はとても生存していなかっただろう,と思いました。実際,36名の方が殉職しています。当然,放送所(送信所)との連絡も途絶え,それに,そもそも停電しているだろうし,それで放送ができるわけがない....と思いました。

放送局自体は復興し,同じ建物で1960年まで使用されました。現在,跡地に建ったショッピンセンターに銘板が取りつけられています。

広島放送局,原放送所(海田市 '52.9.30).png 

  広島放送局と原放送所(海田市'52.9.30)

   今昔マップon the webから。

終戦直後の怪談としては,iruchanが知っているものでは,青森の尻屋崎灯台の怪談が有名ですね。

戦後のある嵐の夜が明けて,翌日,灯台の照明のおかげで無事に港に戻った漁民がお礼に灯台に行くと,戦時中の銃撃で照明が壊れ,現在修復工事中で,照明が点灯するわけがない,と言われた。また,その銃撃の時に1人,殉職しているとのこと.....。

これには後日談があり,当時の灯台長が確認し,公文書に記載していることもよく知られています。

このラジオの声もこういう怪談話のひとつではないか,と最初,思いました。

先ほどの投書した女性は断固として,原爆投下直後だったと主張しますし,他にも証人がいて,実際にあった話のようです。

実際,投書した女性は当時,三次市に住んでいて,広島からは60kmほど離れているので,直接,原爆の被害を受けたわけでなく,ラジオも停電していなければ聴くことができる状況だったと思います。

とすると問題は放送局なのですが,上記のようにスタジオは爆風で壊滅状態のはずだし,設備も大きく被害を受け,たとえ生存者がいたとしても放送することはムリではないか,と思いました。

すぐにiruchanが考えたのは演奏所(放送局)からではなく,放送所からだったのではないか,ということ。

事実,現在でも,ラジオの送信所は何らかの緊急放送設備を備えていることが多いです。

当時,広島中央放送局は演奏所は上流川町ですが,放送所は5kmほど北に離れた原放送所です。現在も同じ場所にNHK広島の祇園ラジオ放送所があります。

ここから,実際,当日,正午前から男性の声で放送が始まり,翌7日には正式に放送を再開しています。

でも,筆者が1人ずつ,検証していくのですが,放送所には女性の職員はおらず,やはり上流川町の演奏所からの放送であることがわかります。ここには女性が何人かいて,生き残った人もいました。

しかし,女性アナウンサー(当時は放送員という名称でした)は3人だけで,しかも当日勤務していた方は1人で,インタビューしたところ,爆風で気を失っていたので私ではない,とのこと。

他に女性事務員の方がいましたが,いずれも別の部屋にいたり,自宅にいたりして,おそらく違うだろう,と言う結論になりました。

また,先ほどの写真については,もちろん,後日の写真で,投下直後の写真ではなく,原子爆弾炸裂後はそれなりに原状を保った状態で,焼け野原になったのはしばらくあと,と言うことがわかります。

つまり,火の手が迫るまでに,生き残った女性が放送したのではないか......と。

さらに,放送所との放送線と,連絡電話の電話線は,やはり爆撃を警戒してもとから太田川河底に設けられており,少なくとも電話線は通じていて,これも2回ほど,実際に演奏所から放送所へ電話が通じたようです。

当時は放送線も連絡線も同じアナログの音声回線ですから,絶縁不良でクロストークを生じることがあったし,電話で必死に各局へ連絡を取ろうとしていたので,その声が電波に乗って流れたのでは,という推測は成り立ちそうです。

当時,逓信大臣から「いかなる事態になっても放送を継続すること」,の指示があり,自局で継続できない場合は他局に依頼することになっており,職員は必死になって放送の継続に努めたのだろう,と思います。放送局も戦場のひとつ,でした。

結局,筆者の努力にもかかわらず,誰が放送したのか,また,その人の生死についても明らかにはならないのですが.....。

      ☆            ☆          ☆

AMラジオの歴史を調べているうちに,戦争末期の秘話を調べることができました。

とても内容の濃い,大変な労作だと思います。

後半は広島への原爆投下に際して,空襲警報が出されたのか,という問題に取り組んでいますが,話は複雑で,再読しないと理解しにくく,今,もう一度,読み返しているところです。

wikiを読むと当日,8:13に中国軍管区情報として,B29 3機が接近中......と放送がなされたように書かれていますが,これは当時のアナウンサーの手記に基づくもので,筆者は綿密な調査の上,そのアナウンサーの記憶違い,と断定しています。ラジオからは直前の警報は流れなかったでしょうし,wikiの記述は誤りだと思います。

残念ながら,30年前の出版で,すでに絶版だと思って,近くの図書館で借りて読みました。それもすでに開架にはなく,閉架式書庫に収蔵されていました。ところが,まだamazonを見ても在庫があるようです。今度,買っておこう,と思いました。ぜひ,手元に置いておいて,折に触れ,読み返してみたい,と思います。


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さよならBook Depository [海外]

2023年4月26日の日記

先日,たまたま本を買おうかと,久しぶりにBook Depositoryのサイトを見たらびっくり。

なんと,Book Depository is closingとバナーが出ていて,4月26日に閉店するとのこと。

Book depository'.png えっ~~!?

ここ,amazonのように洋書販売のサイトで,amazonより安いし,なにより,せっかく洋書を買うのに,amazonだと千葉かどこかの倉庫(フルフィルメントセンターとか言うらしいですけどね)から送られてくるだけで,国内から送られてきます。

外国のものを買うのに,国内から送られてきくるのはねぇ~......[雨]

と言う感じがしているのと,何よりここは本を買うと,きれいなしおりを入れてくれるのが本当にお気に入りでした[晴れ]

たぶん,創業者は自分が本が好きだし,本好きの人の気持ちがよくわかっているのだ,と思いました。

何気ないプレゼントでしたけど,どれもとても美しいし,デザイン的にも結構サイケデリックなものがあったり,面白いデザインでした。使われている紙の質や厚みもよく,しおりとしても最適な感じでした。

そう,iruchanはよくしおりを買ったりするんですけど,紙質が悪かったり,厚すぎたり大きすぎたり,どれもいまいち,と言う感じがするのですが,ここのしおりは本当にちょうどよい厚みや大きさで,やはり本当に買う人の気持ちをよく理解しているんだな,と言う感じがしました。

まあ,amazonだって,日本進出もしてなかった最初の頃は,しょっちゅうしおりをおまけしてくれましたし,まだ日本に来ていないスタバのマグカップをくれたこともありました。Japanから注文が来た,ということでおまけしてくれたのでしょうか。

Book Depositoryは送料無料,と言うのもよくて,イギリスかベルギーから送られてきますが,送料無料だったし,なにより,海外からものを買ったので,やはり外国からものが届く,と言うのはうれしいですよね[晴れ]

送られてくる日数は確かに国内から送ってくるamazonより時間はかかりますが,大体,日英間だと最短5日なので,月曜に発送すれば金曜には届く,ということもあったので,それほど問題じゃありませんでした。

と言う次第で,iruchanは洋書を買うときはBook DepositoryかAbe booksをチェックし,最後にamazon,と言う感じで買っていました。Abe booksは古本屋さんのポータルサイトですが,Newというコンディションの本も売っているところがあるし,そうでなくても,Unreadなんてコンディションのものは新品同様で,よく買っています。

なんでBook Depositoryが閉店しちゃうのか......。

ちょっと理由が分からないのですが,wikiを見ると2011年にamazonに買収されているので,その関係かと。送料無料で売っているので,それが気に入らなくて潰してしまおう,といういわゆる敵対的買収だったのか,と想像しています。

実際,Book Depositoryもamazonのマーケットプレイスで出店していて,iruchanはたまにamazon経由で買うこともありました。

トラブルは一度もなく,たった一度だけ,2冊注文したのに2冊目が届かないので,英語で問い合わせたところ,○○○koという明らかに日本人,と言う方から英語で返事が来たことがあります。

Book Depositoryは自社の在庫がそう多くはないようで,他社から仕入れていたようですけど,その本だけ,少し入荷が遅れて済みません,と言う内容でした。

明らかに日本の女性の名前だったので,現地の男性と結婚し,Book Depositoryで働いている方でしょう。こちらも日本人なので,日本語で返事が来てもよさそうですけど,英語で問い合わせたので,返事も英語でした.....[晴れ]

         ☆          ☆          ☆

しかたないので,4月に2回,最後に注文させていただきました。すでに1回目の注文の本は届きました。どうもありがとうございます。これから読むのが楽しみです。

今日,サイトを見てみると▼のようなアナウンスメントがありました。

Book depository '23.4.30.png さようなら[雪]

iruchanは,ここ10年ほど,ここで本を買っていました。大変お世話になりました。ありがとうございました。


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ロバート・ウィルコックス著 "成功していた日本の原爆実験" [海外]

2023年1月31日の日記

成功していた日本の原爆実験1.jpg

終戦間際の1945年8月12日払暁,朝鮮半島北部の日本海側沿岸の興南という町の沿岸で,巨大な爆発があり,それは日本が開発した原子爆弾の実験で,原爆実験の結果は成功であった......。

という主張がこの本の始まりです。

そんなバカな,と思う人が多いでしょうし,iruchanもまったく信じていません。

日本が原爆を開発し,最終的に実験に成功した,というのはSFやロバート・ハリス “ファーザーランド” や佐々木譲の "エトロフ発緊急電" のような,あり得なかった歴史を描いた歴史改変小説ならともかく,ノンフィクションとして発表するならば,確たる証拠に基づいて第三者の検証を経て発表されるべきものです。

その点,あまりにもおろそか,という印象は受けますが,昔から日本も含め,原爆開発の歴史を調べているので,網膜剥離で一週間,入院することもあり,うつむき姿勢を強要されることから読んでみました。

確かに,トンデモ本という印象は受けるのですが,そもそも,"なかった" ということは証明しにくく,よく,悪魔の証明と称されますが,日本が原爆を実験していない,ということを証明することは容易ではありません。

また,読んでみて気がついたのですが,日本の原爆開発が終了し,広島,長崎へ原爆が投下されて仁科芳雄以下の科学者が検証するまであたりはほぼ史実どおり,と思われます。iruchanがこれまでに読んだ,歴史関係の本の記述と一致しますし,陸軍が理研の仁科芳雄,海軍が京大の荒勝文策に依頼し,六フッ化ウランを製造してそれぞれガス拡散法と遠心分離法に取り組んで機器を試作していく過程などは他の本にない,詳しさでよくわかりました。

ただ,朝鮮半島での日本の原爆開発に関する第6部以降はマユツバもので,断片的で,出典も怪しい,論拠も薄く,信頼性の低い情報を,日本が原爆開発に成功した,という自分の結論に沿って都合のよい情報だけを勝手に解釈し,書き連ねただけ,という印象を受けます。

その点,”ノストラダムスの大予言” に似ているし,最近,右派の作家が勝手に日本の歴史を自分流に解釈し,ベストセラーになっていますけど,それらの本に似ています。読む方も読む方,という気がしますけどね.....。

余談ですけど,ノストラダムスの筆者はなにも刑事罰を受けていないことが昔から,腹が立ちます。どれほど,iruchanも含め,多くの青少年を不安に陥れ,果ては将来を悲観して自殺者もいたはずですけど,その点,iruchanは大いに怒っています......。

ただ,確かに,iruchanも朝鮮の興南で終戦間際に巨大な爆発があった,ということは間違いないようです。日経だったか,朝日だったかで,記事が出ていたのを覚えています。当然,原爆実験とは書いていませんけどね。

ここに,日本窒素肥料(現チッソ)の子会社・朝鮮窒素肥料が巨大な工場を建設し,肥料を製造していました。

チッソの公式HPにもこう記述してあるので,間違いない事実です。

ウィルコックスは,ここに巨大なウラン濃縮プラントが設置され,濃縮ウランが製造されていた,と主張しています。

また,近くの鴨緑江にダムを建設し,水力発電所を設けて,そのプラントの動力に使用していた,と書いてありますが,チッソのHPにある,1944年に水豊ダム完成(70万kw)とあるのがそれだと思いましたが,ダムの完成は1941年のようです。一方,興南近くでは,支流の長津江にダムを設けることを計画し,1935年に完成します。黄海に流れる鴨緑江の流れを発電所経由で日本海に流す,という遠大な計画でした。朝鮮戦争の時の中国人民解放軍との激戦で有名な長津湖です。

そもそもなぜここで中共軍と国連軍で激戦になったか......それは中共がここのウラン濃縮設備や残っていたウランを奪取しようとしたからだ,というのがウィルコックスの主張です。

ちなみに国連軍は長津湖から後退し,興南の港から撤退しています。

当然,海兵隊は何らかの工場設備の廃墟を見つけたはずですし,ガイガーカウンターくらいは持ち込んで調べているはずですから,もし,日本が何らかの原爆関係の遺留品を残していれば,記録に残っているはずです。

肥料というのは窒素を原料にしており,硫安(硫酸アンモニウム)を製造しますが,火薬の原料となる硝酸アンモニウム(硝安)と化学的にも製造法も似ており,ごく単純に考えれば,硫酸とアンモニアを反応させれば硫安,硝酸となら硝安ということですよね。戦時中は火薬の製造をしていたことは間違いないと思います。

さすがに,チッソのHPにはそう書いてありませんけどね........[雨]

また,ウィルコックスはウラン濃縮のため,大きな電力が必要で,その大電流に耐える電極として白金が必要で,大量に購入していた,と書いていますけど,白金は触媒用でしょう。大電流用の電極なら,普通はカーボンです。

実際,硝酸を作る際にアンモニアを酸化させ,一酸化窒素(NO)を経て硝酸を作りますが,このとき,触媒で白金を使います。高校の化学で確か習ったような......。iruchanは化学嫌いだったのでよく覚えていませんけど......[雨]

ドイツのオストヴァルトが1902年に発明しているので,興南でも使っていたのではないでしょうか。

おそらく,興南の大爆発,というのはこの硝酸アンモニウムが爆発したもので,もちろん,原爆ではない,と思います。ウィルコックスによれば,海上で爆発した,とあるので,わざわざ海上まで大量の硝酸アンモニウムを運んで爆発させたのか,というのは確かに疑問ではありますけど......。

8月9日にソ連軍がソ満国境を越え,進撃してきたので,清津,羅津などの港はもちろん,巨大なプラントがあった興南はソ連軍の標的だったでしょう。

ウィルコックスはソ連軍が日本が製造した濃縮ウランや製造設備を入手し,ソ連最初の原爆の材料にした,と書いていますが,そんなことをするよりも,市川浩著 "ソ連核開発全史" やMichael Dobbs著 "Six months in 1945"にも書いてあるとおり,すでに鹵獲していた,ドイツの濃縮ウランを使う方が容易だったでしょう。

一方,日本陸軍は,撤退前に工場設備を事前に爆破し,略奪されないようにした,と考えるのが自然で,その際,ダイナマイトか,単純に放火したあと,備蓄されていた硝酸アンモニウムに引火,誘爆したというのが興南の大爆発の真相,とiruchanは考えています。撤退時に破壊していった,というのは5年後の国連軍も同様で,長津湖から後退し,この港から,港湾設備を破壊して撤退したようです。

実際,2020年8月4日18時頃に中東レバノンの首都ベイルートで倉庫に備蓄されていた硝酸アンモニウム2750tが爆発し,218人が亡くなり,30万人が家を失った事故は記憶に新しいですが,一部の報道で最初,核攻撃と誤認した,ということからも巨大な爆発で,規模についても,原子爆弾級,と報じられていました。実際,映像を見ると原爆特有の閃光は見られませんが,衝撃波で水蒸気のドームがパッと膨らんで,その後,キノコ雲が立ち上がっていく点はビキニ環礁の水爆実験などの映像とそっくりですね。

ベイルートの爆発は,威力もTNT火薬換算1.1ktくらいの威力があったようで,15ktとされる広島の原爆の威力の1/10くらいはあったようです。港の倉庫に備蓄してあった硝酸アンモニウムの爆発のため,水蒸気のドームが発生していて,興南の爆発も海岸近くの倉庫に備蓄してあった硝酸アンモニウムやその他の爆薬が爆発して,水上爆発と誤認されたのではないでしょうか。

一昨年,父が亡くなりましたけど,戦時中,船乗りをしていたので,清津,羅津にも行ったことがあるはずで,話を聞いておけばよかったと思います。「露助は鴨緑江の発電機まで持って行きやがった」と生前,話をしておりましたけど,ソ連軍の略奪は徹底的で,ベルリンなどでは住宅の水道栓まで略奪していったらしいので,興南の工場機器は格好の標的だったでしょう。

公式には,仁科が戦後,米軍の聴取に対して,5月に理研が破壊され,以後,研究の継続ができなくなった,というのが正しく,また,日本は濃縮ウラン製造設備の試作がかろうじてできるくらいのレベルでしかなく,原料となる天然ウラン鉱石も満足に集めることができず,原爆開発のスタートラインに立つことができただけ,というのが正しい認識,と思います。

ここまではウィルコックスは正確に記述している,と思いますが,研究室でさえ,そんなレベルなのに,興南で朝鮮半島で採掘したウラン鉱石から濃縮ウランの量産製造設備を稼働させ,兵器級の濃縮ウランを製造し,山中の洞窟で原子爆弾を組み立てていた,とは考えられません。また,日本の原爆? はウラン型としていますが,プルトニウム型の研究もしていたとし,興南の近くにある,古土里に日本初の原子炉があった,としています。

プルトニウムは自然には産出しないので,原子炉でウラン238に高速中性子をぶつけて製造する必要があります。

シカゴ大でフェルミが作ったパイル1(CP1)から発展して,ワシントン州ハンフォードで本格的なプルトニウム量産用ハンフォードB炉が建設され,生産されたプルトニウムでファットマンが製造され,長崎に投下されたのは周知の事実です。

日本がそこまでやっていた,とは思えません。

万万が一,もし,確かに "深海の死者" Uボートにより,密かに臨界量の濃縮ウランが日本に運び込まれ,簡単な起爆装置を用いて原子爆弾を作っていたら,ということだけが唯一,残る可能性とは思いますけど......。

とはいえ,ゴビ砂漠でも日本が原爆実験をした,とか,また,広島が標的になったのは,広島に原子炉を含む原爆製造設備があり,トルーマンが破壊を命じたため,という主張になってくるともはや荒唐無稽としか言い様がありません。

満州を日本が支配していたから,といって,ゴビ砂漠は満州国内ではありませんね......。

ノモンハン事件で日ソ両軍が戦闘し,いくら日ソ中立条約がその後成立し,また独ソ戦でソ連が兵力を減らしていたかもしれませんが,日本に対して警戒を怠っていた,とは思えません。警戒の網をくぐって原爆を搭載した関東軍のトラックが夜中,ゴビ砂漠まで原爆を運んでいって実験した,ということが可能でしょうか。たぶん,ウィルコックスはゴビ砂漠は安全な満州領内,と考えているのでしょう。

それにしても誤植や誤記が多いのもいただけない。

前半部分は先にも書いたとおり,それなりに史実に沿っているし,スペインのスパイ・ベラスコの記述などもNHK特集などと同じ内容で,信じるところがありますけど,終始,ジェット機とロケットを混同していて,ウィルコックスは "V-1,V-2のロケット" と書いていたり(V-1はパルスジェット機です),興南の爆発はジェット燃料の爆発だったかもしれないと書いているのですが,ジェット燃料が爆発性と誤認しているようです。ヒドラジンを原料として,と書いているのはジェット燃料ではなく,ロケット燃料で,V-2などの初期の液体式ロケットに多用されました。確かに,興南で作っていたのがロケット燃料で,ヒドラジンと液体酸素が反応して大爆発した,ということも考えられますけど,当時の日本がどちらも大量生産できたとは思えませんね。

日本のロケット戦闘機 "秋水" のモデルとなったメッサーシュミットMe163はヒドラジンとメタノールを使っていたようですが,興南の工場でも製造されていたのかもしれませんが,そんな爆発性の物質を安全に日本まで運べたのでしょうか。

一方,"橘花" のモデルになったジェット機Me262の燃料は詳しくは不明ですが,現在のジェットエンジンの燃料は灯油ですし,当時も爆発性のものではない,と思います。wikiを見ると"橘花" は松根油を使った,とあり,終戦近い時期だとおそらくこのような燃料でしょう。

松根油も灯油も爆発性ではなく,液体の状態なら着火するのに苦労するくらいの燃料のはずです。聞くところによると灯油タンクに燃えたマッチを放り込んでも消えるだけ.......とのことですが,実験するつもりはまったくありません......[雨]

いずれにしても,1945年8月7日に初飛行しているくらいなので,特殊な燃料を大量に製造するどころの話ではなく,興南で大量生産していた,とは考えにくいです。

        ☆          ☆          ☆

病気で入院中,ということもあり,ゆっくり読めましたけど,世界的なポピュリズムの潮流に乗って「日本スゴい」という翼賛番組を天下の国営放送が堂々とやる時代になったり,右翼系の筆者による,恣意的な解釈と扇動的な文章で,安易に過去の検証された歴史を否定する本がベストセラーになったりする風潮は危険だと思います。

ただ,最後に筆者が警告しているように,戦時中の日本や,北朝鮮やテロリストのような,技術的にもレベルの低い国や集団でも核兵器は作れることは確かのようです。

実際,iruchanが中学生の頃,週刊朝日に60万円で原子爆弾が作れる,という記事が出ましたけど,もし,臨界量以上の濃縮ウランが手に入れば,アマチュアでも作れるレベルであることは間違いないようで,われわれもその点,大いに警戒すべきである,という意見には同意します。そもそもウランの臨界量は22.8kgほどで,球だと直径8cmくらいです。プルトニウムだとそれぞれ,5kg,4cmほどです。フォーサイスが "第4の核" で書いていますけど,カバンに入る小型核というのも簡単に作れるようです......[台風]

もっとも,プルトニウムだと持っているだけで死に至るそうなので,プルトニウムではテロは無理だと思いますが......。


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市川浩著 "ソ連核開発全史" [海外]

2022年1月13日の日記

ソ連核開発全史s.jpg

今日は13日の金曜日です......[台風][台風]

と言うわけではないですが,ちくま新書の "ソ連核開発全史" を読みました。先週の日経の書評に出ていて,面白そう,と思いました。

iruchanが子供の頃,まだ冷戦真っ盛りで,いつか,iruchanの頭上にソ連からミサイルが飛んでくる.......って思っていました。

実際のところ,世界はいつ,そうなってもまったく不思議ではない状況で,ソ連からの情報と言えば,不鮮明で不気味な冬のクレムリンの映像に始まって,これまた不機嫌そうな態度のブレジネフ書記長が訳のわからない言葉で西側を非難して脅している演説だし,お隣の中国も毛沢東が健在で,こちらも似たような映像のニュースばかりでした。技術が低いのか,どちらも不鮮明で画質の悪い映像なのも不気味さを増大していました.....。

かと思うとヴェトナムでは連日,空爆のニュースが出ていて,ニクソンや,今も覚えていますけど,マクナマラ国防長官がまた,不機嫌そうにヴェトナムの戦況を伝えている,という状況でした。マクナマラが広島,長崎に原爆を落とす計画を推進した一人,ということはiruchanも子供ながらに知っていました。

中東では毎年のように戦争が続いていて,なにより片眼のイスラエル国防相だったダヤンがチョー怖かった......。

フランスはまだド・ゴールが健在で,ダヤンもそうですけど,ド・ゴールもいつも軍服を着ていて,もう,ずいぶん経つのに,まだ第二次世界大戦真っ盛り,という感じで,「こいつ,いつまで戦争してんだよ」って思っていました......[雨]

そういや,隣のスペインには独裁者フランコがいて,iruchanは彼の死亡記事(1975.11.20)を覚えています。

と言う子供時代を経験しているので,この本は読んでみたい,と思いました。

さすがに,この広島大学にお勤めの先生があとがきに「卒業論文として書いた」と書いているように,旧ソ連の核開発の概要を一冊の本にまとめた労作で,驚くべきことに昨年2月のロシアのウクライナ侵攻まで記述してあり,最新の情報が出ています。

ソ連は,第二次世界大戦末期,ドイツ侵攻時にナチス・ドイツの核施設を接収し,大量のウラン鉱石や濃縮ウランの他,各関連設備や科学者,従業員を連行したことで知られています。

このとき,本書ではどこで接収したかは書かれていませんが,粗精製ウランを100トン接収した,と書かれており,以前読んだ,Michael Dobbs著 "Six months in 1945" には,ベルリン近郊のAuer社の工場に1,000トンの濃縮ウランが残っていた,と書かれています。本書は量が違いますけど,大量に原爆の原料を入手していたのは間違いないようです。

一方,アメリカのロス・アラモス研究所にもスパイが潜入していて,アメリカの核開発の状況はスターリンは手に取るようにわかっていた,ということも知られています。広島への原爆投下も,実行される日まで知っていたらしいです。

しかしながら,従前,よく言われるように,ソ連の核兵器はアメリカに潜入したスパイのもたらした情報に基づいて,いわばアメリカの知識と技術を窃取したものだ,と言うのは誤りである,と指摘しています。

至極当然の見方ではないでしょうか。スパイがもたらす情報というのはあくまでも断片でしかなく,原子爆弾が製造できるノウハウの仔細にまで至るものではないでしょう。

        ☆          ☆          ☆

1939年2月,ドイツのハーンと学生のシュトラスマンが核分裂の論文を発表し,各国が原爆の開発を開始します。

そもそも,ウランの原子核に中性子をぶつけると原子核が分裂し,その際に膨大な熱が出る.......なら,爆弾ができるじゃないか,と科学者が考えてしまうのは当然の帰結かもしれない,と想像しますが,その後の世界を考えるとあまりにも残念な着想だと思います。本当に,このとき,人類はまさに "パンドラの箱" を開けてしまったのだと思います。

もっとも,ハーンは化学者で,ウランに中性子をぶつけたらバリウムが検出された,どうしてこうなるのか,理由がわからない,ということでかつての同僚だったリーゼ・マイトナーに手紙を送り,原子物理学の学者だったマイトナーは原子核が分裂したことを直感し,甥のフリッシュと解析して,その事実を証明します。

ハーンとシュトラスマンは1944年にノーベル物理学賞を受賞しますけど,マイトナーは授賞されていません。

本書には書かれていませんが,彼女がユダヤ人で,スウェーデンに亡命後も定職がなく,毎日なんとか食いつないでいた,というくらい冷遇されていたのも,また,ノーベル賞委員会も彼女がユダヤ人であり,女性であることから選考から外したらしく,人種差別,女性差別ではないかと指摘されています。また,何故に戦時中に授賞する必要があったのか......戦後,広島・長崎への原爆投下後になっていたら,ずいぶん変わっていたのではないでしょうか。また,もちろん,当然,マイトナーとフリッシュは授賞されるべきです。

ハーンはアーリア系,と言うことからか,ドイツに戦時中も残っていたし,そもそもノーベル賞の受賞が1944年ということなので,ナチス・ドイツも彼の受賞を傍観し,原爆の開発を軽視していた訳ではない,と思います。ハイゼンベルクもドイツにいて,彼がソ連の手に渡る前にアメリカが彼の身柄を確保するのですが,一般に,ナチスは今次大戦の終結までに原爆は完成しない,と考えて原爆開発に莫大な経費を使って注力していた訳ではない,というのは事実としても,ナチスが原爆を手にするのも時間の問題,だったように思います。

ソ連では,科学アカデミー内に研究チームを設け,原爆の研究がスタートします。

1944年にはモスクワにサイクロトロンが完成し,核分裂の実験ができるようになるのですが,マンハッタン計画とは比べものにならないくらい,小規模な研究体制だったようです。

しかし,1945年8月の広島,長崎への原爆投下を契機に研究を加速し,最初の原子炉Φ-1(F-1)が1946年12月に臨界を達成します。

このΦ-1炉の写真が載っているのも驚き。

1942年12月に臨界となったフェルミが作ったシカゴ大学のパイル-1はそれこそ,黒鉛のブロックを積み上げて初期のピラミッドみたいな形にしただけで素朴な感じがするのと異なり,こちらはかなり本格的で,黒鉛の角棒の真ん中に丸い穴を開け,そこにウランの燃料棒を挿入する,と言う構造で,のちのチェルノブイリ原発につながる本格的な原子炉です。

すぐにプルトニウム量産用のA-1炉を完成させ,1949年8月29日にセミパラチンスク実験場で,PдC-1(RDS-1)原子爆弾が炸裂します。

この爆弾の威力が不明なのですが......。写真も載っていて,TNT火薬換算で20ktとされる長崎に投下されたファットマンとそっくりなのは驚きます。

一応,ネットに出ている情報では,威力は22ktだったらしく,ファットマンとほぼ同じです。やはりこのあたり,アメリカに潜入したスパイの情報なのか......。

一方,広島型のウラン型原爆であるPдC-2は1951年9月24日に実験されました。アメリカと順番が逆なのが興味深いです。こちらもネットの情報ではTNT火薬換算で38.3ktだったようですが,広島のリトル・ボーイが15ktだったようなので,倍以上の威力があったことになります。

要は,北朝鮮の原爆もそうですが,黒鉛型原子炉は天然ウランが使用でき,かつ,このタイプの原子炉を使うと,燃料棒中にウラン238が変化したプルトニウム239が蓄積され,あとは化学的処理で比較的,容易にプルトニウム239が得られるのに対し,ウラン型原爆は天然にはほとんど存在しない,ウラン235の濃縮が必要で,こちらの技術開発に手間取った,と言うことなのでしょう。

もっとも,プルトニウムは核分裂反応が速く,起動時には一度,爆縮と呼ばれる過程が必要で,全プルトニウム塊に核分裂の連鎖反応が行き渡るまで,固体を維持する必要があります。そのため,通常火薬による点火装置の機構開発が大変で,アメリカもトリニティサイトで事前に実験したのもその理由ですし,北朝鮮の最初の核実験(2006年10月9日)がアメリカの報告では失敗,とされているのも,十分にプルトニウム塊が核反応を起こしていなかったため,のようです。

ちなみに,広島に,事前に試験をせず,一発勝負で濃縮ウラン型爆弾を投下したのはアメリカもよほど自信があったのだろう,と思います。広島では失敗が許されないので,ウラン型を使用し,長崎では,別のプルトニウム型を使った,というのは実際に現地で実地試験をしたのだ,と思っていますし,なによりスターリンに,「オレは2種類も持っているぞ」というデモンストレーションであったはずです。だから,一発目は絶対に失敗が許されず,確実なウラン型を使ったのでしょう。のみならず,それ以前に,もはや戦争遂行能力なんて残されていない日本に,追い打ちをかけるように,わざわざ原爆を落としたこと自体,スターリンに対する強烈なメッセージが目的だったのだ,と考えています。

        ☆          ☆          ☆

この本のおかげで,旧ソ連の核開発の概要がよく理解できました。新書,と言う形態のため,図が小さくて見にくいのと,チェルノブイリの原発事故について,紙幅の制限があったのでしょうが,もう少し知りたい,と思いました。

それにしても旧ソ連の核開発の状況がよくわかりました。最新の研究成果も載っていて,良書とはまさしくこの本のことです。皆さんにお勧めします。


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西条卓夫著 "名曲この1枚" [文庫]

2022年9月4日の日記

名曲この1枚.jpg

昔,中学生の頃,"ラジオ技術" の新譜紹介で西条盤鬼こと西条卓夫なる人が辛口のレコード評を書いていて,よく読んでいました。"無線と実験" の方にも同様の記事がありましたけど,こちらはごく普通のレコード評で,今もそうですけど,ごくありきたりの記事だと思いますが,ラ技の方はスゴくて,「いただけない」,「パッとしない」とバッサ,バッサと新譜を切りまくり,毎回,すげ~~って思っていました。

まだ当時はiruchanはクラシックなんて,ほとんど聴かないし,聴くのはABBA(なつかし~)などの洋曲か,松任谷由実なんかのシンガーソングライターの曲ばかりで,クラシックはせいぜい,「新世界」あたりを聴いていただけですね.....。

大人になる頃にも連載は続いていて,いつもと同じ調子でバッサバッサと新譜を斬り捨てていました。

いまじゃ,雑誌広告主の意向を編集部がとても気にするので,こんな記事は書けないでしょう。まあ,それだけ,雑誌の地位が低下した,とも言えるでしょう。

iruchanはその頃にはいっぱしのクラシックマニアになっていて,氏の辛口の批評を結構喜んで読んでいました。

でも,じゃあ,氏がダメ,と言った曲の氏なりのいいレコードは何なのか,というと古いものばかりで,かなりのものがモノラル録音でした。

その頃になるとCDがでていて,iruchanもその音のよさにはビックリしていたので,レコードでしか聴けない,それもモノラル,となるともう古すぎて敬遠していて,そういう音の悪さを別にしても演奏のよさを取る,ということは理解しがたく,氏の記事を読んで面白い,とは思っても,氏の言う名盤を聴こう,とは思いませんでした。

実際,iruchanの大好きなサン・サーンスの交響曲第3番 "オルガン" なんて,氏のお勧めはクリュイタンスのモノらしく,こちらも最初はクリュイタンスのものと解釈してステレオ録音盤と思っていました。

よく考えてみると,クリュイタンスのモノラル録音盤のことらしく,呆れた,というのを覚えています。

クリュイタンスのオルガンの1956年9月録音のモノラル録音のCDは入手が難しく,iruchanも10年ほど前にようやくEMIが出したので買った,と言う次第です。

ラヴェルの "ボレロ" も氏のお勧めはアンセルメのモノ盤だったように思います。アンセルメのボレロはスイス・ロマンド管のDECCAのステレオ録音盤が有名で,パリ管とのモノ盤は探さないと入手できません。これもだいぶ前でしたけど,CDになったときに買いました。

とはいえ,モノラルだし,聴いてみても大したことない.....と言うのが印象的です。特に,こういう大音響の曲だとCDの方が断然よいはずだし,何よりステレオじゃないと聞きにくいし,この曲の真価はわからない,と今でも思います。

と言うことをよく覚えているのですが,この本が出ていたのを知ったのはずっと後のことで,以来,ずっと探していました。

でもこの本,1964年に文藝春秋から出たあと,一度も再刊されたことがなく,稀覯本とされているのですね。

実際,ずっとヤフオクなどでウォッチしていましたが,今まで一度も出品されたことはありません。日本の古本屋などを見てもどこも売っていませんし,なかなか入手は難しそう,と言うことであきらめていました。

ところが.....。

最近amazonを見ていたら,こちらもおすすめと言うところにでているではないですか[晴れ]

ビックリしちゃいました。

amazonは結構いらないことをしてくれて,家族が見ると恥ずかしくなるようなものが出てくるとマズいので,まともなものしか探していませんけど,音楽やクラシックのCDを見ているので,表示したのでしょう。

早速入手してみると,アルファーベータブックス,と言う会社が復刊したようです。驚きました。表紙も文藝春秋版とそっくりのようです。

ただ,内容は少しがっかり。

全然,ラジオ技術のレコード評のような感じではなく,新譜を淡々と紹介しているだけで,まったくあのようなバッサバッサと斬り捨てる調子ではないんですね.....。

当時はLPレコードが出てしばらくの頃で,氏も書いていますけど,あらえびすこと野村胡堂の "名曲決定盤" のLP版という感じです。

おそらく,ラ技の頃になると,戦前の巨匠たちが世を去り,新進気鋭の演奏家達の新録音が増えてきて,彼らの勝手気ままな解釈や高度な演奏技法,ステレオ録音やそれに,CDはまだ先としても,録音技術の進化で演奏の些細なミスも許容しない超絶な演奏と高度な録音が音楽自体を楽しむことよりも優先度が高くなって,古き良き欧州の典雅な雰囲気が消えてしまったことに我慢がならなくなった,と言うことだったのでしょう。

そんな状況で,iruchanはちょっと失望しちゃいました。

ところがこの本は文春版にはない,芸術新潮などの氏の音楽随筆が併載されていて,こちらはとても面白かったです。ティボーとの親交やクライスラーの生演奏に接した人はそういないはずだし,その辺の話はとても貴重です。

蓄音機の話も貴重で,クレデンザに飽きてHMVの203型を購入したり....銀行家の御曹司と言うことで金に困らなかったのでしょうけど,その点,嫌みに聞こえますが,まあ,そんな経験も日本人ではほとんど経験していないでしょうから,貴重だと思います。



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佐々木譲著 "偽装同盟"

2022年6月10日の日記

偽装同盟s.png

佐々木譲の "偽装同盟” を読みました。前回,"抵抗都市" を読みました。 

日本は日露戦争に負け,形ばかりの対等な二帝同盟なる同盟関係を構築していますが,軍事,外交権がなく,ロシアの属国と化しています。

今回の時代は1917年2月。

もう,これだけでも,ちょっと世界史に詳しい人なら,そう,ロシア2月革命の年だ,と言うことに気がつきますし,この時代設定からも,結末が冒頭から大体,わかってしまいますね。

と言う次第で,前作より大幅にスケールダウン,というのが第一印象。実際,事件と言っても,メインは静岡から出てきた,地方出身の一女性の殺人事件から始まり,ロシア軍人相手の娼婦の殺害事件か,と言うのを匂わせるくらいで,結局は最後までこの事件の解決が主題です。

要するに,歴史改変小説のストーリーを完結させて正常な歴史へ戻すための道筋を描くべく,前作の続編という意味合いが濃く,アナと雪の女王Ⅱみたいなものか.....と。

としてもかなりスケールダウンは否めないし,前作の面白さにくらべれば,全然という感じです。

歴史の改変度合い? としても今回は大幅にスケールダウンで,ロシア2月革命に乗じて日本で反乱が起きる.....なんてことはないし,そういう予想すらもできないようなエンディングで,ちょっとがっかり,でした。

それに,そもそも表紙にしたって,前作は万世橋駅が表紙で,それはそれで,あまり目にする機会もありませんし,なにより軍神広瀬中佐の銅像が建っていたことで知られていますから,本の中身がどんなのものか予想できて,なかなか意図的で象徴的な表紙でしたけど,今回は見慣れた東京駅。それに,そもそも万世橋駅の絵自体,珍しく,結構,おっ,と思うような表紙だったのに,東京駅では意味不明......。ロシア統監府になっているという,法務省あたりの建物でよかったのでは。

まあ,東京駅の貴賓入り口が表紙になっているだけ,ちょっと珍しいのかもしれませんけど,あまりにも平凡でありきたり。表紙も工夫が足りない印象です。

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村上春樹著 "古くて素敵なクラシック・レコードたち"

2021年9月6日の日記

古くて素敵なクラシック・レコードたち.jpg

今,評判になっている本ですね。

近くの本屋さんには置いていなくて,結局,図書館で借りてきました。新刊が本屋さんにない,と言う状況だし,iruchanのいる北陸の街ではとうとう本屋さんが1軒になってしまい,正直,本屋さんを応援しようにもないものはどうしようもない,と言う状況です。と言って,新刊と言うことでてっきりハードカバーの単行本と思っていたので,文庫になったら買おう,と思ったのですが,手にしてみると特殊な判型でソフトカバーですね。

文春文庫として発刊されるのか.....文庫になったら絶対に買うのですけどね。

読んでみてビックリ。

評論家はもちろん,作家や漫画家が博覧強記なのは当然のことだと思いますが,やはりスゴいですね。

iruchanもクラシックマニアを30年ほどやっているのですけど,知らない曲ばかり。

ラフマニノフのピアノ協奏曲4番‥‥3番までは知っているけど,4番なんてあったっけ?

R.シュトラウスの "ドン・キホーテ" ‥‥‥ドン・ファンじゃないのか。

シューマンの "謝肉祭" ‥‥‥サン・サーンスのじゃなくて?

まあ,この辺までならなんとかついて行けますが,

ビゼー "真珠採り"

プーランク "グローリア"

ヴィヴァルディ "ヴィオラ・ダモーレのための協奏曲集"

シベリウス 交響詩 "ポヒョラの娘" 

ブロッホ "シェロモ チェロと管弦楽のためのヘブライ狂詩曲"

って,それなに?って感じなんですけど.....。

レコード自体は大体,1960年代までのものばかりで,50年代のモノラル録音,EQカーブ制定前の初期盤も多いです。特に,英DECCA(米LONDON)が多いのもiruchanと同じでとても興味深いです。やっぱ,クラシックはDECCAのffrrだよな~~なんて思っているので,村上春樹氏と同じです。なにより音もよいのですが,グルーヴガードのない,真っ平らの分厚い塩化ビニールのレコードは驚きますし,ジャケットのデザインも今では見られないもので,とても魅力的です。

演奏自体もまだ戦前生まれのヴィルトゥオーゾが存命で,それこそ時代がかりの古めかしい演奏も多いのですけど,昔はよかったな~~という録音が多いので,こういう古いレコードの魅力は尽きないのです。

ただ,人選? はちょっと変わっています。

ヴィルトゥオーゾと言っても指揮者はアンセルメ,クリュイタンス,ベーム,ホーレンシュタイン(渋っ!)というところで,かろうじてワルターやトスカニーニが出てくるけどフルトヴェングラーは1枚もないし,カール・ベームなんて退屈極まりない,とiruchanは思っているんですけど,村上春樹氏もそんな感じで,とても好き,と言う感じではなさそうなんですけどたくさんリストアップされています。

ヴァイオリンはオイストラフが多く,クーレンカンプやミルシティンと言ったところ。ピアノはオグドンがお気に入りのようで,あとはデームスやスコダという感じで,とても渋いです。

ビーチャムがお好きなのは同感。大手製薬会社(グラクソの前身)の御曹司で,指揮は道楽だった,というのは有名で,ちょっと嫌みな感じもするのか,人気がないですが,レコードはとてもよいものが多いのは事実で,iruchanも結構好きなのです。でも,なんかマイナーだな.....。

残念ながら,iruchanが共通で持っているものはとても少なく,アンセルメの "ペトルーシュカ“のモノ盤の他,クリュイタンスやアンセルメのステレオ盤とエミール・マルタン指揮サン・トゥシュタッシュ管のフォーレのレクイエムくらいのものでした。おまけにいずれもCD。レコードで入手したいものです。

  ☆          ☆          ☆  

と言う次第で,「やっぱ,レコードはいいな~~~」って思いました。また久しぶりに中古盤屋さんへ行こうかと思っています。本の方は文春文庫になったら買おう,と思います。

また,氏はジャズの大ファンであることも知られています。ぜひ次は "古くて素敵なジャズレコード" をお願いします。


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Richard Rohdes著 "Energy: A Human History" [海外]

2021年9月4日の日記

richard rohdes energy.jpg

Richard Rohdesの "Energy: A Human History" を読みました。地球環境問題が極めて重大な段階に来ていることが誰の目にも明らかな昨今,我々人類がどのようにエネルギー源を求めて来たか,400年間の歴史をまとめた本で,歴史を振り返るには絶好の本だと思いました。

すでに邦訳もでていて,タイトルは ”エネルギー400年史: 薪から石炭、石油、原子力、再生可能エネルギーまで” として草思社から出ています。原書が2019年6月で,邦訳が7月ですからほぼ同時に出版されていますね。日経の書評で見つけました。

ただ,邦訳が税込み4,180円もするので,研究者じゃなければおいそれと買えませんね.....。

amazon経由で買いましたけど,amazon直販より安い,マーケットプレイスで出ている英Book Depositoryで1,668円でした。ここ,最近amazonに買収されちゃったようですけど,amazonより安いし,しおりをつけて送ってくれるのがいいです。また,洋書買ったのに国内から送られてくるamazonより,ロンドンから送られてくる方がいいじゃないですか.....といって多少,日数はかかりますけどね。

内容は圧巻。人類が長い封建制の時代を経て,近代工業化の道を進み始めた16世紀以来のエネルギー源の変遷を細かく記述しています。さすがに,同じ筆者の "The Making of the Atomic Bomb" はピュリツァー賞を受賞していて,評価の高い筆者ですけど,さすがにこの本は800ページを超えるのでちょっと読めません....。

エネルギーを動力,照明,そして原子力の3分野に分けて詳述しています。

もちろん最初のエネルギー源は木。

しかし,最初に工業化の道を歩み始めた大英帝国はすぐに国内の木材を使い果たしてしまい,世界を支配するための軍艦の製造に必要な大きな米松の木が手に入らなくなってしまいます。もちろん,家庭では暖房に木を使っているし,軍艦に必要な鉄の製造にも木を使っています。新たな熱源を探さないとそれこそ,木がなければ帝国はおぼつかない....と言う状況になっていきます。

もともと,石炭はローマ人がいた時代から英国では使用されていたようですが,本格的に採掘されるようになったのはやはり木材が枯渇したから,のようです。次第に炭鉱が開発され,どんどん,深くなっていくと地下水を排水する必要が出てきて,最初は馬,のちにPapinやSaveryが発明した蒸気ポンプが発明され,これらの手動式の弁を自動化しようとしてNewcomenが蒸気機関を発明し,さらにこれらは大気圧機関であるため大きく,効率が低いのでWattが蒸気圧を利用する高効率蒸気機関を発明し,さらにTrevithickが蒸気機関車を発明する.....と言うことにつながっていくわけです。

残念ながら,Trevithickは天才だったと思いますが,筆者も書いているように,生まれたのが少し早すぎたと思います。鋳鉄のレールは壊れやすく,せっかくの彼の発明も活かしきれなかった訳ですね。彼は困窮のうちに1833年に死にますが,英国の鉄道はすでに開花し,各地に敷かれるようになっていました。

SaveryやPapinの蒸気ポンプはiruchanも子供の頃,図鑑で見たので知っているのですが,残念ながら,本書には絵がありません。また,ニューコメンの蒸気機関は図があり,また可動する実物がバーミンガム近郊のDudleyと言う街で保存されているらしいので,見に行きたいと思っています。実際,ニューコメンの機関がダメだったのは大きすぎたから,というのがあるのですが,実際,このGoogleマップの写真を見ても,家1軒占領してしまうくらいだから,とても蒸気機関車なんてできない代物ですね。でも,博物館は休業中。コロナのせいかな.....orz。

照明の歴史も面白かったです。

iruchanお気に入りの英国ドラマ "女王ヴィクトリア" で女王役のジェナ・コールマン(チョ~~かわいい[exclamation])が文句言っていましたけど,ロウソクは上流階級は蜜蝋と決まっていて,匂わないのですが,中産階級は動物の脂を使った獣脂ロウソクで,たまに宮殿でもこれを使ったようです。一方,庶民はrushとよばれる灯心草の灯明?ですね。油は亜麻仁油やクルミの油の他,rapeというので,これは日本と同じ菜種油のようですが,他には魚の肝の油だそうですから,臭かっただろうな,と思います。

その後,Murdockが石炭を乾留してガスを作り,ガス灯を発明します。1792年にコーンウォルの自宅の照明に使いますが,特許を取らなかったため,大儲けした,と言うわけではなさそうです。1813年には最初のガス灯会社Gas-Light and Coke Companyが成立し,ロンドンのウェストミンスター橋がガスで点灯されます。

一方,アメリカでは映画 "白鯨" にも出てくるように,鯨の脂で,マッコウクジラの頭の脂が最高級品で,体脂肪を溶かして固めたものは庶民用だったようです。映画では鯨の皮を煮て樽に詰めるシーンしか出てきませんけど,頭部の油が本当は目当てだったようです。ちなみに英語ではマッコウクジラはsperm whaleと言うのですが,もちろん,spermとはのことです.....。

ついでに,シロナガスクジラは英語ではblue whaleと言います。なんや,それ。

彼らは北大西洋の鯨は取り尽くし,遠くホーン岬を超えて太平洋にまで来て,挙げ句の果て,ベーリング海峡で海氷に閉じ込められて遭難する船まで出てくるわけですが,1853年,ペリーが日本に来たのも,捕鯨船への補給が目的でした。

意外なことに捕鯨が衰退するのは南北戦争の結果とは知りませんでした。南軍が北軍の捕鯨船を片っ端から攻撃したためのようです。

そのうち,ペンシルヴェニア州のOil Creekと言う街で油田が発見され,灯油が灯りとして使われるようになり,急速に捕鯨も衰退していきます。実は,ペリーが来た頃には最盛期を過ぎており,本書によると捕鯨のピークは1846年で,そのとき,捕鯨船は722隻をピークに急減していきます。明治維新にもなると石油が取って代わっているようです。一体,彼はなにしに来て,結果として本来の目的とは異なる大混乱をもたらしただけだったのか....。

その後,電気が登場するのですが,ナイアガラの水力発電所の建設のところは面白いです。もちろん,Westinghouse社が交流の発電機を用い,Stanleyが発明した11,000Vという高圧送電を実現し,遠く,ニューヨークまで送電されるわけです。

原子力の開発のところが歴史編の最後になりますが,フェルミがシカゴ大に建設したパイル1の図も出ていて興味深いです。また,iruchanも長年疑問に思っていたのですが,なぜ初期の原子炉やロシア,北朝鮮の原子炉がグラファイト(炭素)を減速材として使っていたのか,ナチスが原子炉用に重水を蓄積していたのか.....この本で理由がわかりました。

天然ウランを原子炉で使う場合にこういうシステムが必要なんですね。

天然ウランはウラン235を0.07%しか含まないため,高速中性子はウラン238が吸収してしまい,自身はプルトニウムに変化するのですが,核分裂反応を起こさないため,核分裂反応を起こすウラン235を核分裂させるには十分に低速の中性子が多数必要となるのですが,軽水ではウラン235に必要な速度まで減速できず,連鎖反応が起こらないから,のようです。とはいえ,軽水炉では3%程度のウラン235の濃度が必要なのでウラン濃縮が必要になるわけです。

最終章は今後の展望になっています。

ピッツバーグの南にある,ペンシルヴェニア州Donoraと言う街を襲ったスモッグの被害の話は驚きました。

1948年のハロウィーンの夜,硫化物を含んだスモッグが街に滞留し,60人が死亡しました。

Monongahela川の蛇行地点の突端にあり,三方を山に囲まれた地形が災いしたようです。実際,今は便利な時代で,Googleさんが現地の地図や航空写真を見せてくれるので,この辺の状況はよくわかります。USスチールの子会社がここでワイヤーを作っており,その工場の排煙が原因のようです。似た事件は1930年,ベルギーのリエージュでも発生していて,やはり60人が亡くなっています。

化石燃料を使い続けるとどうなるか.....公害の原点のひとつとも言うべき事件を紹介したのは歴史の教訓としての意味合いでしょう。

そういえば,歴史の教訓という意味では自動車のところで,ガソリン自動車が世界を席巻した経緯が明らかになっていますが,そもそも1920年まで,電気,蒸気,内燃自動車の3者がほぼ拮抗していたのに,その後,内燃自動車が独占してしまうのは,石油の発見によりガソリンが容易に手に入るようになり,価格面でも供給面でも他を圧倒したから,です。

そもそも内燃機関は速度0からスタートできないのでエネルギーのムダが多いし,クラッチやギアなどの部品が多く,また,ノッキングの問題もあり,この解決のため,四メチル鉛の添加が考案されるのですが,この環境への影響も自動車の普及のため,無視されました。もし,このとき電気自動車が勝利していたら.....世界は大きく変わっていたでしょう。

内燃自動車はこうして,決して優れた交通システムではないのに,世界を制覇したのはフォードやスタンダード石油など,自動車,石油産業が結託して他を排除した結果でもあります。これからEVやFCVなど,自動車の将来を決める上でも,経済的合理性の追求のみならず,まさに強欲とも言うべき資本主義的要因を十分に警戒すべき課題のだと思います。それに,米国の石油が枯渇したから,といってサウジアラビアなど中東に目をつけ,長年にわたって欧米系の石油会社が利権を争い,この地域の民主化の遅れや政治的不安定の原因ともなっているのは憂慮すべきです。

最近,話題になっているイタリアの物理学者Marchettiが1972年に作成した,産業革命以降のエネルギーの推移のグラフが興味を引きます。木や石炭,石油,原子力の使用量を縦軸が対数軸として%で表示したもので,各エネルギー源の盛衰がよくわかります。

一方,さすがにこれは古くなっており,とくに1980年代以降,オイルショックで産油国の価格統制力や発言力が高まったせいで大きくグラフがずれてきている,と言うことを指摘しています。いまだに石油はピークアウトしていませんし,石炭も下降していたのがほぼ水平になり,現状維持となっている,と言うわけです。

また,将来は再生エネルギーがこのグラフに出てきませんが原子力がまだ21世紀中は主力のエネルギーとなるようです。安全性や廃棄物の点で課題があるのは承知していますが,より安全な軽水炉やトリウム炉が開発されていますし,将来もやはり原子力を利用すべき,と考えています。特に日本では風力は難しいし,太陽光は昼間しか発電しない上,山岳地が多い日本では土砂崩れの原因ともなり得るし,自然破壊にもつながると思います。

筆者は少し最後の方で風力にも触れていますが,将来はどうなるか,明確に記していません。このあたり,ちょっと残念ですが,過去400年のエネルギーの歴史を概観するのに非常によいテキストであると思いました。



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