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Niall Ferguson著 "Empire: How Britain Made the Modern World" [海外]

2019年4月1日の日記

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日経の書評にも出ていた,Niall Fergusonの本を読みました。中央公論新社から,ニーアル・ファーガソン著 "大英帝国の歴史" として,邦訳も出ています。

ただ,この前の "夢遊病者たち" もそうでしたけど,上下巻で6,264円もしますから,研究者でもない限り,買う人は少ないでしょう。結局,洋書で買いました。

と言って,最近,iruchanはamazon本体じゃなく,マーケットプレイスを見ています。こっちの方が安いですしね。おまけに,今回はマーケットプレイスにもよく出している店ですが,ロンドンのBook Depositoryと言うお店にしましたけど,それもAbe Books経由で買いました。amazonに出店している値段より,たいてい,1ドルくらい安いです。結局,11.69ドルで買えました。訳書を買う1/5ですね。まあ,amazon直販だと市川か,どこか,国内から送られてくるので早いと言うのがメリットですけど,なにか,洋書を買うのに日本から送られてくるのもありがたくないので,ロンドンのBook Depositoryにしました。ここはロンドンからでも送料無料で1週間ほどで届くし,何よりどこよりも安く,またなぜか必ずしおりをつけてくれるのでありがたいです。外国のしおりってのも珍しいですからね。そういや,amazonも昔はしおりをつけてくれたものですけど.....。

さて,本の内容の方は英国史なのですが,我々にとってなじみのない,中世以前の内容はなく,あくまでも近世以降の大英帝国の成立前史から第2次世界大戦後の世界までです。さすがにiruchanは世界史好きだけど,中世以前はわかりにくく,いつも敬遠しちゃいます.....(^^;)。

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最初はアメリカ大陸への進出からはじまります。

もっとも,すでにアメリカ大陸は1494年にローマ法王アレクサンドル6世が決めた,教皇子午線により,スペインの支配圏とされ,すでに南米はスペインが支配していました。トルデシリャス条約ですね。ブラジルだけポルトガルなのはこの子午線の東側でポルトガルの支配権だったためです。一方,太平洋は1529年に締結されたサラゴサ条約で取り決められ,フィリピンまではポルトガル,それ以東はスペイン領とされました。だから,マカオがポルトガル領なのもこのせいだし,ザビエルが日本に来たのもポルトガル国王ジョアン3世の命を受けて,です。でも,ザビエルは生まれ自体はスペイン領だったようですが,日本に来た目的はポルトガル国王の指示によるものです。また,種子島に鉄砲をもたらしたのもポルトガル人,というのもこのせいだと思います。

英国が北米に進出したのは,すでに胡椒やカカオ貿易をスペインやポルトガルに独占され,しかたなく,と言う意味合いだったようです。この地域では胡椒は採れませんが,英国自体はインドから胡椒を輸入できるので。そこで英国がやったのは.....奴隷貿易でした。つまり,インドから胡椒を輸入し,代金として奴隷貿易で儲けたカネを支払った,と言うわけです。北米からはコーヒーや綿花を輸入して儲けます。いわゆる三角貿易というやつですね。100年後,今度は北米の代わりに中国に対してアヘンを輸出して,茶を輸入するわけですが,大英帝国の常套手段となったわけです。

このあたり,非常に汚いと思うのですが,Fergusonの見方は甘く,と言うより大甘で,英国に対してかなり寛容な内容が目立ちます。

ただ,欧州で先頭切って奴隷制を廃止したのは英国が最初ですし,1807年には奴隷貿易を廃止しています。ビジネス的に儲からなくなったから,というのが今までの定説ですが,純粋に倫理的に禁止した,というのも事実のようです。

アメリカの独立で北米を追い出された後,アフリカに進出するわけですが,ここで暗躍するのはセシル・ローズなのは有名ですね。デ・ビアス社を設立して銀行家のロスチャイルドと組んで南アのキンバレーのダイヤモンド鉱山を買収し,次々と周辺の鉱山の買収を進めました。ビジネスだけの問題だったらよかったのですが,デ・ビアスは警察権のみならず,私兵を擁し,鉱山地域を力で支配しました。英国政府もデ・ビアスが進出した土地を英領とし,大英帝国の拡大を図りました。

東インド会社もそうですけど,単なる貿易会社なのに,警察権どころか,徴税権や軍事力まで擁して植民地経営に政府に代わって参画したのは後の満鉄もそうだと思いますが,帝国主義の時代,植民地進出の足がかりとして利用しましたね。

のみならず,軍事的にも大英帝国は産業革命後の機械産業の勃興で高性能な兵器を開発し,特に本書で取り上げられているのはマキシム銃で,1分間に500発発射する機関銃は対抗勢力を全滅させ,領土拡大や反乱の鎮圧に猛威を振るいました。先ほどのセシル・ローズも1893年,シャガニ川の戦いでローズ側の700名の部隊が4丁のマキシム銃で3000人の部隊を全滅させました。こうして作られたのがローデシアです。彼の名にちなんだのは言うまでもありません。

また,言うまでもなく大英帝国が世界に覇を唱えた原動力は海軍。世界各地に海軍基地を設け,7つの海を支配することとなります。p.286に1898年当時の英海軍基地の地図が出ていますが,世界中に33カ所もの海軍基地があり,驚きます。実際に戦艦を配置せず,単に給炭施設のみというところも多かったようなのですが,軍艦が寄港する,と言うだけで威圧効果は絶大だったでしょう。

人員的には英海軍は10万人を擁していましたが,その割に,予算も4000万ポンドほどと当時のGDPの2.5%しかなく,冷戦時代より少ないのには驚かされます。ポンドが世界の基軸通貨となり,貿易や工業生産のみならず,金融面でも大いに儲けていたと言えるでしょう。

しかしながら,すでにヴィクトリア朝の後期にはすでに衰退の兆しがみえ,新興のドイツに覇権を脅かされることとなります。

先ほどの "夢遊病者たち" にも出てくる,1907年に英外務省のクローが執筆した,"独仏関係に関する英国の現状" と題するメモには,1913年に,ドイツは英国のGDPを6%上回り,同様に1880年に世界の生産シェアは英23%,独8%だったものが,それぞれ14%と15%になると指摘しています。また,海軍の総トン数も7対1だったものが2対1になると指摘しています。すでに英国の覇権は危うく,20世紀にはドイツとの戦争が避けられない状況となってきていることが明らかになります。トゥキディデスの罠ですね。

ヴィクトリア女王の崩御する1900年にはすでに英独の立場は逆転していました。

それから二度の大戦を経て,英国は軍事的に勝利はしましたが,世界の覇権はアメリカに移り,経済的にも敗戦国であるドイツの後塵を拝する状況となったわけです。

この本はその後,エジプトやインドの独立も描いていますが,ヤマ場はやはり第1次世界大戦直前の状況です。

       ☆          ☆          ☆

今は中国がアメリカに覇権を挑み,世界制覇をもくろんでいるのは誰の目にも明らかだと思います。やはりカギとなるのは海軍力。この本を読んで感じるのはそのことです。昨今の中国の南シナ海への進出や,一帯一路構想などと言う戦略も,またそれに沿ったスリランカへの軍港建設やイエメンでの軍事基地建設など,この本に書いてあるような,かつての大英帝国の施策とそっくりです。

赤い大きな国の指導者は一生懸命,この本を読んだのではないかと思います。実際,2003年に出版されているのでもうずいぶんと前のことです。その意味で,邦訳が出たのが去年,というのは少し,日本人というのはのんびりしすぎているのではないかと......。

empire ferguson, china.jpg 当当網でも英語版のみです。

ただ,中国最大のオンライン書店である当当網を見ても,中国語版はないようです。原書は驚くほど安い値段で売られていますね......。

       ☆          ☆          ☆

この本を読んで思ったのは,いろんな意味でやはり歴史を学ぶのは重要だということ。

ただ,この本は,プロの歴史家が書いた本ではなく,誤謬も多いと思います。特に,アジアにおける大英帝国の覇権を脅かす存在になった日本が20世紀に台頭してきて,日本に対する記述も多いのですが,中でも日中戦争時の南京大虐殺の記述が出てきますが,被害者30万人としているのはちょっと納得がいきません。確かに,iruchanは南京大虐殺は史実としてあったのだ,とは思っていますが,被害者の数はこれでは中国の主張を何にも検証せず,鵜呑みにしています。きちんと本として世に問う以上,歴史家の最新の研究成果や一次資料を調査し,正確な記述をしてほしいと思います。特に,ペンギンクラシックスのシリーズで出るような本ならなおさら,という気がしました。


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レン・デイトン "SS-GB" [海外]

2019年4月21日の日記

前回,ロバート・ハリスの "ファーザー・ランド" を読みました。ナチス・ドイツがイギリスに勝利し,ヨーロッパをドイツが支配している,という社会を描いた作品です。こちらもナチスが戦争に勝っていたら.....という設定で書かれた小説として有名ですね。

ただ,残念ながら,両作品を読み比べてみて,やはり断然,"ファーザー・ランド" の方がおもしろい,と言わざるを得ません。

"SS-GB" の方はとにかく人物や風景の描写が塩野七生ばりにくどい.....(^^;),というのがやはり原因。読んでいてスピード感がなく,非常に疲れます。そもそも,“ファーザー・ランド” の方はいきなり1頁目から死体が発見される,という状況なのに,こちらの方は最初の死体が発見されるのず~~っと後。最初からしてスピードが違います.....。

それに,そもそも舞台がナチス占領下のイギリスというのもどうかと.....。

主人公をはじめとして,周囲の人間はイギリス人ばかりで,いずれも当然ですけどナチスに反感を持っていて,いわば,主人公の周りは味方ばかり,と言う状況はのんびりしすぎています。"ファーザー・ランド" はベルリンが舞台だし,周囲はゲシュタポや親衛隊ばかり,と言う状況とエラい違いです。

設定もどうにもおかしく,そもそもイギリスがなぜドイツに降伏したか.....というのははっきりわかりません。どうもネットを見ると,英本土上陸作戦が成功したため,のようなのですが......。

1頁目にイギリスの降伏文書が出ていて,それはそれで結構緊迫感があります。日付は1941年2月18日となっています。まだ日本は参戦前ですね。だから,"ファーザー・ランド" には出てくる日本は,本書では出てきません。

ただ,やはりこの設定はちょっと非現実的。そもそも,前年の7月,8月のいわゆるバトル・オブ・ブリテンで,ドイツ空軍は手痛い敗北を喫し,北海の制空権がない状態でドイツ軍が上陸作戦を敢行,成功させるとは思えませんし,チャーチルは逮捕されて銃殺されていますが,国王のジョージ6世はなぜかロンドン塔で幽閉されている状況です。中世じゃあるまいし,さすがに20世紀に国王をここで監禁することはないでしょう。ずっと前から観光名所になっているわけだし,監禁場所にする,というのもなんか,笑っちゃうような感じです。米海兵隊による彼の救出計画と,ナチスの核開発計画の文書の奪取が後半のヤマですけど,007じゃあるまいし,これもあり得そうにない,という感じです。そもそもナチスの原爆開発は実際には南ドイツのアルプスの麓でやっていた訳ですし,普通はこういう風に山奥でやるイメージだと思います。ましてや敵地で開発するとはとても思えないんですけどね....。

そういう意味で,どうにも読む気をなくして飛ばしながら読みました。イギリスではベストセラーになったし,2017年にはBBCでTVドラマ化されたくらいなので人気のある小説なんでしょうけど......。

ということで,イギリス人じゃなければ,実感はわかないし,大しておもしろくはない,と思いました。文庫は早川書房から出ていましたが,とうに絶版。iruchanも図書館で借りて読みました。

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ロバート・ハリス “ファーザーランド” [海外]

2019年3月29日の日記

fatherland2.jpg げ~~っ!!

ナチス・ドイツ帝国‥‥‥1964年。

そう,この本はナチスが第2次世界大戦に勝利した後の世界が舞台です。

1942年,ドイツ国防軍はモスクワとバクー油田の間の補給線を破壊することに成功し,スターリン自慢の大戦車軍団が油切れであっさりと動かなくなって独ソ戦に勝利し,イギリスも1944年,Uボートによる通商破壊戦に屈服してチャーチルとジョージ6世はカナダに亡命します。アメリカは1946年,ナチスが発射したV3ミサイルによる核攻撃の脅しに屈して講和して戦争が終結します。

実際,これらはあり得なかった話ではないし,iruchanも最近見た,映画 "ウィンストン・チャーチル ヒトラーから世界を救った男" にも,ドイツのイギリス上陸作戦が間近であり,ジョージ6世がカナダに亡命することが想定されていたことが描かれていましたが,本当にそうなっていたかもしれません。余談ですけどこの映画,特殊メイクでアカデミー・メイクアップ&ヘアスタイリスト賞を取りましたけど,チャーチル役のゲイリー・オールドマンは大して似てなくて,チェンバレンのロナルド・ピックアップの方がそっくりでしたね。劇場で,チェンバレンがあまりに似ているのでiruchanは吹き出しちゃいました.....。

小説ではエリザベス王女が亡命し,となっていますが,時代的には父親のジョージ6世ですね。講和? 後は例のエドワード8世が復位し,傀儡となっているようです。実際,彼は離婚歴のあるシンプソン夫人と結婚するために退位していることでも有名ですが,親ナチであったことでも知られていますね。そもそも英王室は第1次世界大戦まではハノーヴァー朝と名乗っていて,ハノーヴァー選帝侯だったジョージ1世が始祖ですから,ドイツ人が先祖です。さすがに敵国の王朝の名前じゃまずい,ということでウィンザー朝と改称しているわけです。エドワード8世も祖父(ヴィクトリア女王の夫君)のアルバート公がドイツ人です。

V2号ロケットの後,A4ロケットまで計画されていたのですが,北米に届く大陸間弾道ミサイルはドイツが開発していたかもしれません。V2号も本当はA2号だったのに,ヒトラーが悪夢を見て名前を変更した,というのは宇宙マニアなら知っていますね。

核兵器についても,戦争の早期勝利を確信し,大戦終結に間に合わないと考えたナチスが開発を断念したので開発が間に合わなかったようなのですが,この前読んだ,Michael Dobbs著 "Six months in 1945" によれば,ベルリン近郊のアウアー社の工場では濃縮ウランが製造され,1000tを超す量に達していて,ソ連による占領予定区域にあったことから米英が徹底的に空爆するのですが,残った濃縮ウランをソ連軍が接収し,ソ連の原爆第1号に使用された状況からも,ナチス・ドイツが原爆を開発したのは時間の問題だったように思います。

残念ながら(?),日本については歴史通りで,広島,長崎に原爆を落とされて降伏した,と描かれています。アジアはどうなった,と思っても何にも書いていません。

こうしてナチス・ドイツは第2次世界大戦に勝利し,東はウラル山脈から西はライン川まで有する大帝国となり,欧州12カ国はドイツを盟主とするヨーロッパ連合(!)を形成しています。決して歌われないドイツ国歌の3番にあるように,マース川(仏東部~オランダ)からメーメル(リトアニア)まで,どころか,はるか東方までドイツ領となって,より大領土となっているわけです。ちなみにドイツ国歌ではVaterland(父なる国)と表現されているのですが,本小説のタイトルはそこから選ばれているのだと思いますが,邦訳は "ファータ-・ラント" の方がわかりやすかったのではないか,と思います。 

英,仏などはドイツの同盟国となり,ドイツは世界に冠たる超大国となってアメリカと対峙し,戦後の冷戦はアメリカとドイツという2大超大国間の争いとなっています。ただ,東部戦線だけはアメリカの支援を受けたソヴィエトのゲリラ戦が続き,ドイツ国内の不満分子が徴兵されている状況です。ドイツ社会は国家社会主義による独裁体制が確立し,ゲシュタポによる思想統制が国家の隅々まで行き届いた監視社会となっています。このあたり,ジョージ・オーウェルの "1984年" と同じ状況,という感じです。

しかし,ユダヤ人虐殺については単に東方へ移送された,とだけ発表されていて,国際社会も認知していないと言う状況です。

一方,アメリカは緊張緩和のため,1964年秋に大統領の訪独が決まり,ケネディ大統領(!)とヒトラー総統の会談が決定します....。

物語はヒトラーの75歳(!)の誕生日の6日前,1964年4月14日にはじまります。

ベルリン近郊の湖岸で一人の片脚のない老人の水死体が発見され,ドイツ刑事警察(クリポ)のマルヒという主人公が捜査を始める,と言うところからはじまります。いったい,この老人は誰なのか.....。

もちろん,ベルリンはシュペーアが設計した巨大首都ゲルマニアが実現し,壮大な建築物が所狭しと並んでいる状況です。ちなみにクリポの長官はネーベで,彼は映画 "ワルキューレ" で出てくるヒトラー暗殺未遂事件として有名な7月20日事件に連座したとして絞首刑になっていますが,20年後も存命しています。

この小説はこのマルヒという主人公を中心に描いていて,ヒトラーやヒムラーが具体的に登場するわけではなく,政治小説ではありません。あくまでもこの主人公の成功と破滅や謎解きが物語の中心になっています。

死体の身元が判明し,彼の行動を追求する主人公にゲシュタポの手が伸びてきます。この老人はナチスのユダヤ人大虐殺を決定したヴァンゼー会議(1942.1.20)の出席者の1人でした......。

まあ,ケネディと言っても,物語に登場する予定なのはオヤジのジョセフの方で,息子のジョンじゃありませんけど....。何でこうなのかよくわかりません。大統領への野望があったのは事実だし,それでその夢を息子に託したわけです。また,駐英大使時代にチェンバレンの対独宥和政策を支持し,ルーズヴェルトの怒りを買って失脚したのは事実なんですけど.....。

       ☆          ☆          ☆

iruchanは海外小説は好きですが,残念ながら推理小説は興味の範囲外で,一回り違う姉と違ってアガサ・クリスティもほとんど読んでいないし,読んだ推理小説はクロフツや鮎川哲也くらいしか読んでないのです....orz。これらはiruchanの大好きな鉄道関係の推理小説ですね。

ただ,スパイ小説は結構好きで,フォーサイスは好きで,ほとんど読みました。

この小説もスパイ小説に分類されるでしょうし,iruchanは世界史が好きだし,中でも戦争やナチスは興味の範疇なので本当だったら,とっくに読んでいてもおかしくないのですが.....。

なぜか,まったくこの小説のことは知りませんでした。国内の発売は1992年だし,とうに大人になっていたので知っていてもおかしくないはずなのですけど....。当時,ベストセラーになったようですし,実はこの本はとうに絶版なので,近くの図書館で借りてきたら,実際,貸出票を見ると93年から43回も貸し出しされていて,相当よく読込まれている感じでした。なぜ知らなかったのだろう....。

この本のことはつい最近,新聞で紹介されていたので知りました。すぐにamazonを見たらとうに絶版で,マーケットプレイスで結構な値段がしています。中古市場でも高いらしく,1冊1,000円以上するようです。ということで近くの図書館へ行きましたが,残念ながら閉架所蔵。司書の方にお願いして借りてきました。さすがに今じゃ,読む人はいないようです。貸出票を見ても2003年が最後です。まあ,この頃に貸出機が電子化されて,はんこで記録しなくなっただけのこと,と言う気もしますが,おそらくここ10年ほどは貸出記録がなく,それで閉架所蔵になったのだと思います。

ただ,今読んでも抜群におもしろい小説です。古本屋さんで見つけたら買っておいて損はない,と思います。ペーパーバックで読もうかと思ったら,amazonではkindle版しか表示されないし,海外でも絶版なのか,と思いましたが,Barns & Nobleではペーパーバックが15ドルです。古本のAbe Booksでは送料込みで5ドルほどなので買ってもよいかと思いました。

fatherland-s.jpg ファーザーランド・文春文庫


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Simon Winchester著 "Krakatoa” サイモン・ウィンチェスター著 ”クラカトアの大噴火~世界の歴史を動かした火山~” [海外]

2019年1月3日の日記

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年末の12月22日の土曜日にインドネシアのジャワ島とスマトラ島の間のスンダ海峡で大きな津波が起こりました。400人以上の方が亡くなり,16,000人以上の方の家が失われたようです。亡くなった方のご冥福をお祈りしますとともに,被害に遭われた皆様に謹んでお見舞い申し上げます。

原因は火山の噴火。

このわずか25kmほどの幅の狭い海峡の南側の入口にアナク・クラカトア(Anak Krakatoa)という火山があり,それが噴火したようです。いわゆる山体崩壊と呼ばれる大規模噴火を起こし,山が崩れて大量の土砂が海に流れ込んで大きな津波を引き起こしたようです。

すぐに思い出したのは1883年の同じ場所での大噴火。かつて,ここに標高800mを超えるとがった火山がありました。

悪名高いクラカトア火山ですね。それが1883年10月27日月曜日の朝10時,大爆発を起こして山が吹き飛んで島が消えてしまいました。高さ40mを超える大津波が発生し,36,000人を超える人命を奪いました。

iruchanはこの火山のことは子供の頃に読んだ火山の図鑑で知っていて,特に,とがった山の頂上から赤い火と噴煙が上がり,津波を背景として正面で半裸の男の人が叫んでいる,という映画の一場面が出ていて,恐怖を覚えた記憶があります。その映画のこともこの本に書いてあります。

出版されたのは2003年で,iruchanもすぐにペーパーバック版を読みました。年末に,先ほどの津波のニュースがあったので改めて今度は日本語版で読み直すことにしました。やはり英語だと読むのが大変ですので.....。

また,この本が出版されてすぐ,2004年12月26日の朝スマトラ島北西沖のインド洋で発生したマグニチュード9.1の地震で大津波が発生し,死者25万人を超える大被害を与えたことは記憶に新しいところです。震源はクラカトアから1000kmも離れたところですが,まったく関係のないことではありません。どちらもプレート境界が関係していて,特に,日本海溝などと同様,プレートの沈み込みがあるところでは火山が付帯して成長するようです。どういうわけか,同じプレート境界でも湧きだしの方は裂け目の部分以外では火山ができません。そういえば,日本沖には火山がたくさんあるのに,チリ沖の太平洋には火山がありませんね。

1883年の大噴火の後,巨大なカルデラができて,その外輪山の一部がまた成長し,1928年にはついに海面に顔を出し,アナク・クラカトアと呼ばれていました。アナクとはマレー語で子供という意味で,昔のクラカトア火山の子供,と言う意味です。

著者は1970年代に訪れたときと,25年後に最後に訪れたときとは見た目でも大きくなっており,実際,後で調べたら毎月50cmというスピードで成長していたと書いていて,本当に驚くべき急成長です。すでに,当時でも標高180mに達していたようです。今回の噴火直前には338m(NHKによる)に達していたらしく,それが再び山体崩壊を起こして津波を発生させたようです。コンサート会場の背後から津波が来襲し,観客が逃げる場面がニュースで出ていますね。

著者は本書で,再びアナク・クラカトア火山が噴火し,津波を引き起こすと警告しています。15年前に予見していたのは驚くべきことです。

The peculiar tectonics of Java and Sumatra will make sure that what occurred back then will without a doubt one day repeat itself, and in precisely the same way.

"ジャワとスマトラの異常なテクトニクスにより,いつの日か,疑いもなくかつてと同じ過程を繰り返すだろう。"

ただ,続いて,"それはいつのことかわからない,ずっと先のこと...." と書いているのですが,それはまさしく15年後のことでした。

改めて読んでみて驚いたのは津波の破壊力。1883年の噴火の時は30m以上の標高に建っていた建物が破壊されたり,スンダ海峡の入口に建っていた灯台が根こそぎ破壊されたり,鋼鉄製の軍艦が3kmも川をさかのぼって置き去りにされたり.....。

また,時代的にも産業革命が終わり,科学の進歩が一段と進んだ時代の出来事なので,科学的な記録が多いのも特徴で,おそらく人類史上,初めて科学的に観測,記録された火山の噴火だと思います。噴火の際に生じる衝撃波が音速で地球を一周し,遠く英国でも気圧の変化が記録されたり,その衝撃波が地球を7周して減衰したとか,そもそも噴火音がマニラやパース(豪)のほか,遠く4700kmも離れたモーリシャス諸島で聞こえたりしたのは驚きです。津波もフランスでも観測されています。噴煙は成層圏に達し,何ヶ月も漂い続けたので異常に赤い夕日が世界中で観測されました。

ノルウェーの画家ムンクの "叫び" の背景の空が異様に赤いのもこのせいだと言われています。彼はこの絵を1893年に描いています。この絵,去年,日本に来たのですが,iruchanも見に行きたかったのに,あまりに混んでいるのであきらめました......。

ただ,ちなみに1883年の噴火はこれでも史上5位の規模らしく,有史以前の東インド諸島のトバ山,1815年のタンボラ火山,ニュージーランドのタウポ火山(2.6万年前),アラスカのカトマイ火山(1915)に次いで5位らしいです。

今回の噴火は津波の高さも報道されているところでは3~4mくらいのようですし,崩壊前の山の標高も低いので,前回ほどの規模ではなかったようですが,同様の山体崩壊を引き起こし,津波を発生させています。被害も甚大で,多くの人命が喪われたのは残念です。

また,報道されているところでは,津波警戒システムがすでに設置されていたのに,予算不足でメンテナンスができず,満足に稼働していなかったとのこと。地震や津波,噴火を繰り返す地域のため,警戒システムが導入されていながら,人的な要因で多くの人命が喪われた,というのはきわめて残念です。

       ☆          ☆          ☆

この本が素晴らしいのは火山だけじゃなく,プレート理論や巨大地震の発生機構など,科学的な解説のほか,大陸移動説を唱えたウェゲナーの生涯や電信の発明者モールスの功績や,電信を使って世界中に噴火の情報を伝えたロイター通信社や船舶保険のロイズの歴史なんかもわかるのがすごいところです。現場近くの港に駐在していたロイズの社員が最初の第一報をロンドンに急報しました。ロイターは支局が首都のバタヴィアにあったため,1日,後れを取りました。一方,ウェゲナーは頭がおかしいとされて職を追われ,最後はグリーンランドで亡くなっていて,iruchanもそれは知っていたのですが,彼の最期の状況がどんなだったかは,この本で知りました。冬を前にキャンプを退去した際に遭難したようです。ウェゲナーの理論は正しかったのですが,理由を説明できませんでした。後にプレート理論が提唱されて彼の理論が正しかったと理解されるのは1960年代以降のことです。

また,動植物の生息が異なる境界が地球にはいくつかありますが,ジャワ島とスマトラ島の間にもウォーレス線があり,そこで,アジア系の動植物と豪州系の動植物の境界があるのですがその理由と発見者のウォーレスの生涯がわかるのも驚きです。ウォーレスの発見のおかげでダーウィンが進化論を完成させるのですが,このことも知りませんでした。もちろん,このウォーレス線はこのあたりのプレート境界に沿っていて,動植物相が異なるのはジャワ島とスマトラ島が別々の大陸の一部であったからなんですけど.....。そもそも,なんでインドネシアがオランダ領だったのかとか,アジアなのに仏教国じゃなくてイスラム教なのか,とか聞かれても答えられないような質問にも詳しく解説があるのが素晴らしいところです。

それに,冒頭の映画は "ジャワの東" という映画なのですが,実はこれがトンデモ映画,というのはこの本で知りました。ずっと図鑑で見てから,この映画を見てみたい,と思っていましたが,DVD化もされてないし,なかなかTVでもやらないので,ようやくiruchanが見たのは10年以上前にNHK BSでやったから,です。でも,iruchanが知る限り,後にも先にもこれ一度だけです。よほどマイナーなB級映画のようです。確かに,どう見ても日本人という着物を着た変な男達が踊っていたり,神社みたいな鳥居が出てきたり,終始,変なところばかりの迷映画でした。製作が1969年なので,結構,最近のことなのに,アジアに対する認識がいまいちというのは驚きます。そもそも,タイトルにしたってジェームス・ディーンの "エデンの東" のパロディだし.....。それにクラカトアはジャワの東じゃなくて,西なんですけど....。また,この映画,なぜか欧米では年末の定番映画らしく,著者も子供の頃,よく見た,なんて書いています。おそらく,"ジョーズ" や "タワーリング・インフェルノ" (ともに1975年公開)の先駆け的なパニック映画で,年末の定番だったのでしょう。そういや,iruchanも子供の頃,ガメラや大魔神なんて映画が年末の定番で,よく見ていた記憶があります(古っ!)

たった1冊の本を読むだけでこれだけ幅広い知識を得られる本,というのはそうないと思います。その意味でiruchanも屈指の良書だと思います。

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それにしてもクラカトアの噴火は日本でもまったく関係のないことではありません。そもそも山体崩壊って,日本では阿蘇山や箱根などのカルデラがその跡ですし,近代になってからも1792年の "島原大変肥後迷惑" と呼ばれる雲仙普賢岳の噴火や1888年の会津磐梯山の噴火がそれです。富士山だってすぐ隣の箱根と同様,山体崩壊するほどの巨大噴火を起こさない,と言う保証はありませんし,九州の鬼界カルデラが破局的噴火をしたら日本は滅亡するでしょう。富士山噴火でも東京は壊滅。復興するのに20年くらいかかるでしょう。オリンピックどころじゃないってば。

新年早々,再び戦慄を覚えたiruchanでした。

ただ,なぜか地元の図書館で借りてきたら閉架式収蔵。もう,読む人も少なくなってきているのでしょう。親切なおばさんにお願いして出してもらいました。それに,出版されてから15年も経つのに,いまだに文庫化されていないのも変。出版社は早川書房なので,はやくハヤカワノンフィクション文庫で出してもらいたいものです。名著なのでやはり惜しい! それに,このような自然科学系の本って大学の先生が訳しているものが多くて,直訳調で非常に読みにくいもの,と決まっていて,だからiruchanも最初は警戒して英語で読んだんですけど,さすが翻訳ものの老舗だけあって本書の訳はとても素晴らしい。だから余計にまだ文庫になっていないのが残念です。

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日本語版は出版当時2,800円でしたけど,今は3,000円のようです。



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Abigail Tucker著 "The lion in the living room" [海外]

2018年9月24日の日記

The lion in the living room1.jpg 米英版です

Abigail Tuckerの "The lion in the living room" を読みました。"猫はこうして地球を征服した: 人の脳からインターネット、生態系まで" として邦訳も出ていますね。新聞の書評欄でも評価高い本です。でも,邦訳より洋書の方が値段が半分だったのでペーパーバックで読みました。

本書はTuckerの処女作らしく,それにしてもよく動物学や歴史学などを勉強して書いてあるなと感心します。

ただ,内容は......,実に恐るべきものです。

もともと,今われわれが買っているイエネコというのは各地域,大陸ごとにバラバラの原種から育ったわけではなく,ただ1種,リビアヤマネコだった,というのが冒頭に示され,驚かされます。しかも,その研究は今世紀に入ってからで,オックスフォード大の1人の博士課程の学生であったCarlos Driscollが成し遂げたもので,ペルシャ猫からマンハッタンの野良猫,ニュージーランドの森に住む猫に至るまで,Felis Sylvestrisという猫が原種だそうです。トルコやイラク,イスラエルに住んでいるリビアヤマネコの近種のようです。

それじゃ,日本の三毛猫はどうなんだよ,と言う気もするのですが,その辺は書いていません。

いずれにせよ,これほどの広範囲に住み着いた能力は驚くべきもので,どのような環境にも順応し,餌を確保して生存する能力が高いことに驚かされます。

猫がありとあらゆる在来生物を食い散らかし,絶滅の危機に追いやっている実情が次の章から明らかになっていきますが,その生存能力はイヌよりも優れ,特に雌猫の育児能力は極めて高く,イヌよりも優れているため,駆逐するのはきわめて難しいことが明らかにされていきます。そういえば,わが国ではもう,野良犬を見ることはなくなりましたが,狂犬病の関係で駆除されているとは言っても,もともとイヌの母親の育児能力はそれほど高くなく,子供が育つ確率は猫より劣るそうです。世界中で野良猫が大繁殖していることから見てもわかるとおり,猫の繁殖能力の高さには驚かされます。

また,これらのイエネコがありとあらゆる在来動物を食っていることは恐るべきことで,北米のホシバナモグラ(star-nosed mole)やアメリカグンカンドリ(magnificent frigate bird),ニュージーランドの夜行性のオウムである,フクロオウム(Kakapo)やキリギリス(Katydid)やタランチュラ,sawfly larvaという蛾などの虫,もはや生息数は1,100頭以下とされる豪州に住むワラビーの一種(Bridled nail-tail wallaby)をも食っているらしいです。この調査は十分餌を食べさせたイエネコに対して行われたもので,うちの子は外で食べてません! なんて主張は通らないようです。

豪州では特に深刻で,ほ乳類の絶滅危惧種138種のうち,92種の絶滅に加担していると認定されていますし,アメリカでは14億から37億もの鳥を食べていると報告がなされています。特に,フロリダでは在来の野ねずみであるwoodratの食害が深刻で,条例で猫を屋外に出すことは禁止されていますし,屋外で見かけた猫は容赦なく駆除される,と言う対策が取られているにもかかわらず,もはや絶滅は時間の問題のようです。

また,その次は恐るべき寄生虫の媒介者としての姿であり,特に猫の内臓の中でしか増殖しないトキソプラズマは猫が媒介しているようで,すでに人類の1/3は寄生しているらしく,しかもこの寄生虫の恐ろしいことは人食いアメーバ同様,人が持っている血液脳関門をくぐり抜けて脳に寄生するらしく,頭蓋骨の裏側に住み着くようです.......。

従来からトキソプラズマは妊婦が感染すると危険で,特に,最近では統合失調症の原因ではないかと疑われています。

トキソプラズマ症は1938年,ニューヨークの病院で,異常な痙攣を起こした新生児が脳に障害を持っていたことから発見されました。病原菌はなかなか見つかりませんでしたが,生肉が感染源であろう,と言うことは推定できていて,ようやく1965年になってパリのサナトリウムでラムチョップを食べている患者に感染者が多い,と言うことから感染源が判明します。結核患者に生肉ダイエットを実施していたようです。どうもブタが発生源らしく,調べてみるとブタの餌を十分に加熱せずに食べさせており,そこに猫の糞尿が混じっていて感染した,ということから原因が判明します。

今でもトキソプラズマ症は国別の罹患率の差が大きく,北米では10~40%であるのに対し,南欧や南米では高く,国によっては80%にも達するそうです。一方,低いのは韓国らしく,7%以下のようです。日本はわかりません。ともかく,対策としては,ブタや羊の肉を生で食べるのは避けた方がよいようです。


と言う次第で,本当にイエネコがきわめて大きな問題であることがよくわかります。今,空前の猫ブームだそうで,TVにもネットにもかわいい猫の映像があふれていますが,かわい~~!! だけでは済まされないどころか,彼らの裏の恐ろしい顔にも注目しなければならない,と感じました。少なくとも,家で猫を飼う人は外に出しちゃいけないし,避妊手術を義務づける必要があると感じます。

      ☆          ☆          ☆

さて,邦題は▲の通りですが,表紙も日本版はいただけませんね。全然かわいくないし,タイトルも "リビングに住み着いたライオン" でいいのではないでしょうか。

驚いたことにAmazonではドイツ語版も売られていますが,これ,表紙は米英版とそっくりなんですが,よく見ると猫が違う! 種類も違うようです。それに,なんで英語はLionなのに,ドイツ語版はTigerなの? 

Der Tiger in der Guten Stube.jpg ドイツ版


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Christopher Clark著 "The sleepwalkers:How Europe went to war in 1914" [海外]

2018年4月28日の日記

sleepwalkers.jpg

とうとう,1年かかって読み終えました。さすがに本文で560ページもある大部な本だし,英語も少々,難しくて手こずりました。みすず書房から "夢遊病者たち~第一次世界大戦はいかにして始まったか~" として邦訳も出ています。日経の書評などで絶賛されていましたね。 

ただ,さすがに上下刊で1万円を超える値段じゃ,買えません。このペーパーバックはAmazonで1,242円で買いました。ただ,今日見てみると1,803円もするので,ずいぶんと安く買っていたようです。

Barbara Tuchmanの "The guns of August" を読んで以来,ずっと第1次世界大戦の経緯について興味があるのでいろんな本を読んでいます。 

第2次世界大戦の陰に隠れ,今まであまり第1次世界大戦の方は注目されることはなかったと思います。しかし,第2次世界大戦は第1次世界大戦の帰結後の欧州があまりにもひずみを多く残し,その戦後処理がよくなかったからヒトラーを生み,第2次世界大戦になったというのは疑いないことですし,平和確立という目的に隠れ,戦後処理という名の勝者間の権益調整だけでしかなかったヴェルサイユ講和会議をはじめとして,第1次世界大戦の勝者の側の責任についても語るべき時が来たのではないかと思います。やはり歴史は後世の歴史家によって公平な立場で記録されるべきです。 

2014年が開戦100年ということもあり,TVなどでいろいろドキュメンタリーも放送されましたし,本も出版されました。中には当時のフィルムをカラー化したドキュメンタリーもあって驚きました。この本もその一連の流れの中で出版されました。Tuchmanの本は1962年刊行なので,随分と古いので,それから50年経って,いかに見方が変わったかを調べてみたいと思いました。 

確かに,Tuchmanの本はオーストリアを老獪で好戦的な国として描いて悪役でしたが,周辺の大国が覇権を争い,虎視眈々と次の機会を狙っていたため,絶好の好機としてとらえたという見方は出版当時でも異色のもので,いろいろ批判はあったと思いますが,iruchanもこの見方は非常に鋭いと思いますし,ビュリツァー賞を受賞しているだけあって,読み応えがあり,大変面白い本でした。 

一方,Clarkのこの本は著者がケンブリッジ大学の教授と言うこともあり,学術論文みたいな堅い本になっています。とはいえ,非常に面白く,一気に読めると思います。 

見方としては従来の見方どおり,セルビアがオーストリアの皇位継承者を暗殺した黒幕で,オーストリアとセルビアの局地紛争が世界大戦に拡大した,という見方です。 

物語は1903年6月11日のセルビアのアレクサンダル国王夫妻の誅殺事件からはじまります。 

その夜,28人のセルビア陸軍士官たちが王宮に侵入,隠し部屋に逃げた国王夫妻を引きずり出して銃殺します。それでは足りなかったのか,2人とも死体をバラバラにされた上,血まみれのドラガ王妃は寝室から外につるされ,王宮の前庭に捨てられます。 

どうしてそういうことになったのか.....読者はここから物語に引きずり込まれます。 

原因は王朝内の権力闘争にあるのですが,後日,ルーマニアに亡命していたカラジョルジェヴィチ家のペーターが復位します。前王のアレクサンダルは父親のミランが行った圧政を踏襲し,国民の怒りがたまっていました。特にドラガ王妃は身分が卑しく,醜聞が絶えませんでした。いろんな男と寝る女で,国王が結婚を決意した折に閣僚がやめるよう助言し,中でも内務相が "あの女は誰とでも寝るんです。私もその1人です" と忠告して国王から平手打ちされた,という有名なエピソードもあるようです。 

このクーデターの首謀者がアピスで,28人の士官たちは何のお咎めも受けないばかりか,国民の英雄として振る舞い,セルビアの政治を牛耳ることとなります。とても法治国家とは思えない,あまりにも暴力的で残虐きわまりないクーデターです。このような歴史では新国家の体制が健全な成長をするとはとても思えません。もちろん,新国王はクーデターの首謀者たちに頭が上がらないわけですからどういう帰結になるか予想はつくのですが......。 

セルビアは1878年にオスマン・トルコから独立しますが,国民の大部分はオスマン・トルコ領主の農奴であり,教育水準も低く,しかも,独立後,自作農が増えたため人口が急増し,国民は貧困にあえぐことは少しもかわりありませんでした。教育については,1900年の段階で,教員を養成するための大学が国内に4ヶ所しかなく,識字率も北部で27%にすぎず,南部にいたっては12%しかない,という状況が明らかにされていきます。政府も武器をフランスから購入するための国防費が圧迫している状況が明らかにされます。 

こうした国内状況と,大昔はセルビアは大国だったことから領土拡張を主張するBlack Handという極右の国粋主義者のグループが力を得ていくこととなります。オーストリア皇位継承者を暗殺したプリンチップもその1人でした。時の首相,パシッチはBlack Handとつながりがあり,暗殺計画については事前に知っていました.....。

と言う次第で,冒頭の第1部はほとんど "ならず者国家"(rogue country)としてのセルビアの内情を描くことに終始しています。 

ただ,意外にも最終章では,オーストリアが最後通牒を突きつけた際,その回答は穏当で現実的なもの,と評価していますし,セルビアはならず者国家ではないと書いているのがちょっと違和感があるのですけどね....。

よく,新聞連載小説かなんかで,書いているうちに読者の反響などを元にしてストーリーが変わっていく,と言う話を聞きますが,セルビアに対しては明らかに筆致が変わっています。 

一方,オーストリアに対しては,Tuchmanとは分析が異なり,どちらかと言えばならず者の隣人への対応に苦慮する被害者,という印象を受けます。実際,オスマン・トルコ同様,退潮しつつある大国として周辺環境の変化に苦慮しつつ,国際秩序の維持に努めていたのは事実でしょう。 

第1次世界大戦は2次に渡るバルカン戦争を発端として,第3次バルカン戦争とでも言うべきものですが,バルカン戦争の契機になったのはイタリア・トルコ戦争です。1911年9月,イタリアが対岸のトルコ領リビアを攻め,トリポリとキレナイカを割譲させます。これを横で見ていてトルコの弱体化を察知したバルカン諸国がトルコに宣戦布告したのが第1次バルカン戦争です。 

このイタリア・トルコ戦争については昔はたいした研究もされず,iruchanも高校の世界史で習った記憶がありません。おそらく,昔は教えなかったのでしょう。改めて娘の世界史の教科書を見るとこの戦争が載っていて,やはり歴史の解明が進み,教科書の記述が変わっているのだと思います。この戦争の政治的な影響は決して小さくありません。 

イタリア・トルコ戦争の講和会議がスイスのローザンヌで始まった同じ日(1912年10月18日)にセルビア国王ペーターはトルコに宣戦布告します。 

この戦争はセルビアがトルコ領だったアルバニアを攻め,念願のエーゲ海に進出を果たしますが,ブルガリアが強すぎ,一時はコンスタンチノープルまで占領する勢いだったのをロシアが止めるくらいの勢いで,バルカン半島に大幅領土拡大することに成功します。ボスポラス海峡がロシアの生命線だったのですが,ここをブルガリアが支配するよりもオスマン・トルコの方が御しやすいと思ったのでしょう。 

強すぎたブルガリアに対し,内輪もめでセルビア,ルーマニアなどの他のバルカン諸国と,失地回復を狙ったオスマン・トルコが宣戦布告したのが第2次バルカン戦争です。 

この戦争でブルガリアは敗北して獲得したばかりの領土を失い,一方,セルビアはアルバニアの分割に失敗し,取り分? が不足だと不満を抱くことになります。これが次の第3次バルカン戦争である第1次世界大戦の引き金となります。 

         ☆        ☆        ☆ 

1914年7月23日午後6時,ベオグラード駐在のオーストリア大使が最後通牒を手交します。1時間前に仏大統領のポアンカレがニコライ2世と今後を相談するためペテルブルクへ赴いてから帰国の途についたのを確認してからのことです。セルビア首相のパシッチは休暇のため,地方へ出かけていました。

実はオーストリアの最後通牒はこれで2回目です。 

1912年11月,セルビアとモンテネグロはアルバニアに出兵し,占領します。オーストリアはこれ以上,セルビアの要求は容認できないとして最後通牒を発しています。これが1912年冬の危機です。特に,オーストリアが1878年,露土戦争の結果,セルビア人などスラブ系民族が多数住んでいたボスニア・ヘルツェゴビナを統治し,最終的に1908年に併合していて,ここに波及してくるのは必至と考えていたためです。 
 
このときはセルビアが譲歩し,撤兵に同意したので,戦争には至りませんでした。しかし,セルビア国内の民族的機運は鎮まるどころが,かえって燃えさかるのは明らかで,それが1914年6月28日の暗殺事件につながるわけです。 
 
この日,オーストリアの皇位継承者である,フランツ・フェルディナンド大公夫妻がサラエボを訪れます。現地で開催される軍事演習の視察のためです。すでにテロが懸念されていて,視察の中止も助言されていたのですが,彼は強行します。この日は彼らの結婚記念日でした。と同時に,この日は14世紀にセルビアがトルコに大敗したコソボの戦いの日でもあり,セルビア人にとっては屈辱の日でした。そもそも,こういう日に軍事演習をやろう,なんてやはり挑発行為でもあるわけで,先日,アメリカがイスラエル建国の日に大使館をエルサレムに移設しましたが,パレスチナ人たちにとっては同様に屈辱の日でもあり,そういった日にこのようなことをするとどうなるかは歴史の教えるところだと思うのですが.....。
 
実際,この日午前,サラエボ駅から市庁舎へ向かう途中,Black Handの一味が車列に爆弾を投げつけ,暗殺未遂事件が起こっています。このときは難を逃れましたが,市庁舎からの帰途,遭難します。帰途も危険だからと,予定を変更して別の目的地に向かいます。しかし,車列はコースを外れ,ラテン橋のたもとの交差点を右折してしまいます。本来はこのまま,アッペル・キー通りを直進するはずでしたが,最初の予定のコースであったフランツ・ヨーゼフ通りに入ろうとしました。 
 
実はコース変更が運転手に伝わっていませんでした......。
 
一旦,もとのコースに戻るにはバックしないといけませんが,当時の車はバックギヤがないためバックできず,大勢で押しながらバックする,と言うはめになります。 
フランツ・ヨーゼフ通りで待っていた暗殺犯は騒ぎを聞きつけ,フェルディナンド大公の車に近づきます。至近距離で2発発射し,1発は大公の首に命中して頸静脈を損傷し,もう1発は少しためらったようですが,夫人の腹に向けて撃ち,腹部大動脈を損傷して即死でした。婦人は妊娠中だったようです。
  
こうして,オーストリア軍のトップを務めていてハト派でセルビアに対しても非戦論を唱えていた大公が死去したことにより,オーストリア政府は主戦派が占めることになります。
 
オーストリアの最後通牒に対する回答期限は48時間でした。

回答期限5分前,パシッチ首相自らオーストリア公使館に赴き,セルビアの回答を手交します。回答を受け取るやいなや,公使館職員はすでに家財を載せて準備していた迎えの車に乗り,ベオグラード駅から列車に乗車します。10分後,オーストリア国境を越える鉄橋を渡り,帰国しました。

iruchanはこのとき,たまたま電車に乗っていたのですけど,このときの緊迫感はただ事じゃありませんでした。まさに手に汗握る,とはこのことですね。 

セルビアの回答は穏当なもので,オーストリアが突きつけた共同調査委員会の設置やセルビア政府内のBlack Handの黒幕の逮捕を拒絶したものの,大部分はオーストリアの要求を呑んだものでしたが,すでに戦争に向けて事態は動いていました。オーストリア軍も動員が開始され,セルビア政府は南部ニスへ避難を開始します。 

そもそも10分で国境に着くくらいですから,ベオグラードはオーストリアに接していてサバ川を渡ればすぐオーストリア=ハンガリー帝国だったわけですね。これじゃ,今のソウルより国境は近いわけで,大砲じゃなくて機関銃でも弾が届くくらいの距離です。 

7月28日,ついにオーストリアは対セルビア宣戦布告を行います。 

しかし,ここまでならオーストリアとセルビアの局地戦で終わるだけでしたが,ロシアが翌日,部分動員を開始し,それを察知したドイツ皇帝ヴィルヘルム2世は31日にSIDW(State of Imminent Danger of War)を宣言します。8月1日,ドイツがロシアに宣戦布告します。 

ヴィルヘルム2世は対露戦争をするだけのつもりだったのですが,参謀総長の小モルトケ(普仏戦争の立役者の大モルトケは叔父)は背後から襲われることを最大限警戒すべきとし,対仏戦争の準備を始めていました。自軍が西に向かっていることを知った皇帝は最前線のルクセンブルクの鉄道駅を攻撃する一指揮官に直接電話をかけて戦争を止めようとしますが,モルトケは言いました。"もはや戦争は止められません。" 8月3日にドイツはベルギー,フランスに宣戦布告します。 

このとき,まだイギリスは参戦を決めていませんでした。三国協商は相互防衛義務はなく,フランスが攻撃されてもイギリスが参戦する義務はありませんでしたが,イギリスはベルギーとの間に保障条約を結んでいて,ベルギーの中立が侵された場合は参戦することになっていました。ベルギーは独立に際して1839年に各国と中立条約を結んでいました。一方,ドイツは2正面作戦を避けるため,短期決戦でフランスを下したのち,ロシアに対峙する計画で,早期にフランスへ侵入する必要性からベルギーの中立を侵す計画でした。 

ただ,イギリスが参戦する前,奇妙な情報があり,駐ロンドン大使のリヒノフスキーに外相グレイ(紅茶で有名なアール・グレイの兄弟のひ孫)が "イギリスは(イギリスの)中立を守る" と言ったらしいのです。もし,これが事実ならドイツは非常に有利なわけです。独政府内は期待しつつも混乱します。翌日,再度,確認のため訪れたリヒノフスキーにグレイは冷淡な対応で,どうやら昨日の話は嘘だったということがわかります。

結局,イギリスはベルギー侵略に抗議して8月4日,対独宣戦布告をします。

こうして第1次世界大戦が勃発することとなります。

        ☆        ☆        ☆

それにしても長い本でしたが,息をつかせぬ展開で,途中でやめることなく,読み終えたのでよかったと思います。学者の先生が書いた割には先のグレイのウソ話などエピソード満載で,飽きさせないストーリー展開で,本当に読ませてくれます。

そもそも,オーストリアのフランツ・フェルディナンド大公がなんで皇太子じゃないのか?

そういえば,われわれは中学の時,オーストリア皇太子暗殺事件なんて習わなかったでしょうか。

皇太子は広辞苑によれば "皇位継承(帝位継承)の第一順位にある皇子を指す称号" であり,やはり皇子である以上,皇帝の息子であるはずですが,フランツ・フェルディナンドは息子じゃなく,甥です。

じゃ,長男はどうなった? というと長男のルドルフは心中未遂事件を起こして自殺していますし,妻は有名なエリザベートですが,レマン湖畔(原書では英語圏の慣例通り,ジュネーブ湖と書いてあります)でアナーキストに刺殺されています。また,弟のメキシコ皇帝マクシミリアンは革命で処刑されています。かわいがっていた姪はたばこの火がドレスに着いて焼死しています。

と言うわけで,実質的にオーストリアの最後の皇帝となったフランツ・ヨーゼフはまわりに不幸が絶えず,本当に気の毒ですが,これらの話は本に出ています。

また,驚いたのはサラエボ事件後の緊迫の最中の7月10日,駐ベオグラードのロシア大使ハートヴィヒが休暇から戻ったオーストリアのギースル公使宅でたばこを吸った直後に死亡した,と言う話です。

どうやら,3日にフランツ・フェルディナンド大公の葬儀が行われた際,ロシア大使館が唯一,半旗にしなかったことが英伊の弔問団に知られ,その釈明に訪れたようなのですが,狭心症を患っていたとは言え,あまりにも不可解な死で,現在でも真相は不明なのですが,本当にミステリアスな事件だと思います。

それにしてもこういった驚くべき話も満載で,第1次世界大戦までの経緯を描いた本としては超一流の歴史本だと思いましたが,最後の最後の結論だけはいただけません。

最後のconclusionでは第1次世界大戦の主犯を結局は,"犯人は現実を見ずにさまよい歩いていた夢遊病の政治家たちだ" として犯人を名指ししていないのは歴史学者としての責任放棄だとしか思えません。"歴史学はアガサ・クリスティーの小説ではない" なんて言い訳を書いているのですけど.....。それをするのがあんたの仕事だろ,と思いました。

やはり犯人はセルビア。ならず者国家でテロを黙認すると言うよりはもっと実際には積極的に支援していたわけですし,今ならテロ支援国家に指定されるでしょう。それに90年代に惨禍を極めたボスニア・ヘルツェゴビナ紛争も原因はセルビアが地域の覇権を求めたためでしたし,セルビア人たちの意識は今も変わっていないように見受けられます。

共犯はロシア。オーストリアと "舎弟" セルビア間の局地紛争に介入し,部分的に抑止力として国境付近でにらみをきかせる程度にとどめておけばよかったのに,全面動員してドイツと戦おうとしました。ニコライ2世はそのつもりではなく,部分動員にとどめるつもりだったようですが.....。一方,オーストリアの後ろ盾のドイツの責任も重大です。最初からフランスをやっつけるつもりで西に向かったのも誤りでしょう。ヴィルヘルム2世もそのつもりはありませんでした。

まだ,第1次世界大戦も総括する時期としては早いのかもしれません。結論部分は歴史的にはこういった内容だと思うのですけど......。

     ☆          ☆          ☆

2020年2月24日追記

ピーター・ジャクソン監督の "彼らは生きていた" (原題:"They shall not grow old")を見てきました。

ロンドンの帝国戦争博物館などに保存されている第1次世界大戦当時のサイレント&白黒の記録映像と,BBCが記録していた,生還した兵士達の証言をまとめた記録映画です。

驚いたことに,冒頭にも書きましたが,最新の映像技術を駆使し,見事に3Dカラー映像となっているのが評判ですね。緑色のマークⅠ戦車が何台も動く映像などは大迫力です。

さすがに,当時はまだトーキーすらない頃なので爆弾が炸裂する音や銃弾が飛び交う音は "後付け" です。カラー化も含め,そう言う点はやはり賛否があろうかと思います。

しかし,やはりカラーの映像の迫真性はものすごいものだと思います。映画館で再生される音は映画館の再生システムにもよるとは思いますが,まさに頭上を銃弾が飛び交い,爆弾が炸裂し,破片が飛んでくる様はまさに今,1914年の塹壕にいるように感じられるほど,大迫力です。

一切,ナレーションや音声の字幕以外の説明のキャプションはないのですが,証言者の生々しい声はやはり傾聴すべきものです。

実際の戦場とはどういうものだったのか.....。死体がありとあらゆるところに転がり,緑色の毒ガスが襲ってきて,冷たい水や氷が脚を壊死させ,シラミが蔓延する......地獄の塹壕での生々しい状況が再現されています。

兵士達の仕事? も克明に描写されています。2時間ごとの任務と4時間の休憩の間に眠る,とか,2日間勤務して4日間休息のため,前線から後退するとか,まったく知りませんでした。


BBCが記録した証言はなによりとても貴重で,実際の戦場がどのようなものであったのか....最後は1918年11月11日午前11:00の休戦の日の状況と美しい夕日で終わっていますが,そのとき,なにも歓声がなかった,という証言はあっけにとられましたが,実際はそのようなものだったのでしょう。その日,夕日が美しかったでしょう。印象的なラストは赤い陽が沈む映像で締めくくられています。

あくまでも戦争博物館の映像が主体だし,監督もスタッフも英国人なので,あくまでも英兵の目で見た戦争記録映像となっているのが残念ですが,続編ではなくても,ドイツやフランスでも同様の映画が作られることを望みます。

印象的だったのは捕虜となったドイツ兵との交流。驚くほど彼らは従順だった,と言う証言があり,彼らと帽子を交換したり,愉快に談笑したりしている映像が少し救いになりました。憎しみなんてなかった,という英兵の証言は重いです。お互いに命令を忠実に実行していただけなのだ......戦争はなんの利益もない,という証言は永遠に伝えたいと思います。

チャーチルが息をのんだという,キューブリックの "突撃" もやはり真実の映像の前にはかなわない,と思いました。
 
この記録映画は戦争の悲惨さを描いてあまりあるし,恐ろしいほど迫真の映像は,うちの子供らにもぜひ見せたいと思いました。


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James Harford著 "Korolev" [海外]

2017年9月9日の日記

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宇宙開発のことが好きで,よく読んでいます。特に,謎に包まれたソ連の宇宙開発に昔から興味がありました。

中学の頃など,よくそのあたりの本を読んでいました。

ただ,スプートニク1号の本を見てもどうにも変だ,と思えることがありました。アメリカのアポロ計画の責任者はフォン・ブラウンで,彼がドイツのV-2ロケットを開発したなんてことは中学生でも知っていましたけど,ソ連の責任者はどの本を見ても書いていないし,非常におかしいと思っていました。それに正直なところ,ソ連の核ミサイルを中学生でも脅威に感じていましたし,謎めいたというとむしろ平和的な感じがするくらいで甘っちょろい表現だと思えるくらい,恐怖を感じていたくらいなので,ソ連の宇宙開発自体,興味があったといよりはむしろ,怖いもの見たさ,という点が強かったので,誰が責任者かもしわかったらこいつか! と憎んでやろうと思っていたような気がします。実際,1970年代はずっとソ連というとそういう感じの国だったと思います。

”こいつ” の名前はセルゲイ・コロリョフという名前であったのがわかったのはソ連が崩壊してからです。ずっとソ連の時代は伏せられていて,それはもちろん,私だけじゃなく,西側の誰しもが憎悪の対象にするし,諜報機関による暗殺を恐れて伏せられていたようです。

もちろん,人工衛星の開発は長距離ロケットの開発そのものと言ってもよく,衛星自体の開発はそれほど難しいものではなかったようです。実際,この本でスプートニク1号は本当は2号が最初であったはずで,1955年7月アメリカのアイゼンハワー大統領が国際地球観測年を記念して1957年か58年に人工衛星を打ち上げると表明したため,急遽,何でもいいから地球をまわるものを飛ばせ,というフルシチョフの指示に基づいて2号が先だと間に合わない可能性があるため,わずかひと月で開発されたものであることがわかりました。

ただ,わずかな開発期間であるにもかかわらず,コロリョフがこだわったのはその形状で,あの印象的な球体のスプートニク1号の形状は彼のこだわりによるものだったのです。いまでも誰でも人工衛星と言えば,あの球状のスプートニク1号を思い起こしますからね。

彼の開発したR-7というロケットは有名ですね。開発はR-2, R-3, R-5を経てR-7になっています。ちなみにR-1はドイツのV-2ロケットをソ連で組み立てたものです。R-7は1953年から開発され,最終的に5tの核弾頭(水爆)を射程6,000km飛ばす能力があり,最初の大陸間弾道ミサイル(ICBM)として知られています。これにスプートニクを始め,初の有人宇宙船ボストークやつづくボスホートを打ち上げています。

もっとも,コロリョフ自身は平和主義者だったのではないか....と思います。彼は最後まで液体燃料ロケットにこだわり続けますし,R-7の後継ロケットに同僚のグルシコが有毒のヒドラジンを燃料に使うのを提案したときも頑強に拒否しています。それに,極低温の液体酸素を燃料に使っていると燃料の注入に丸2日かかりますし,燃料が気化して漏れることを考えると燃料注入から発射まで,48時間以内に行わないといけないので,兵器としては致命的な欠陥です。いざ開戦となったら一斉にR-7の発射基地めがけてミサイルが飛んでくるでしょうし,戦闘機で容易に破壊できますからね。

コロリョフは1966年にがんのため59歳で死んでいますが,R-7で採用されたクラスター構造のロケットは今もソユーズで使われています。

本書はサブタイトルからもわかるとおり,コロリョフ死後のアメリカのアポロ計画に対抗したソ連の月探査計画についても詳しく記述しています。特に,アポロ計画のサターンⅤ型ロケットに対抗してソ連でもN-1という巨大なロケットの開発が進められていますが,この話は面白いです。一度,大爆発して開発が中止された,というのは知っていましたが,実は1回じゃなくて4回爆発した,というのは知りませんでした。巨額の開発費もあり,月への有人飛行計画は中止されます。おそらく,何回やってもN-1ロケットはダメだったでしょう。

本書は米国航空宇宙学会の名誉会員であるHarfordが著しています。驚くほどたくさんの旧ソ連の宇宙開発関係者にインタビューし,大変うまくまとまっていると思います。巻末の米ソの宇宙船の歴史年表なんかは一見の価値ありです。


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ジョージ・オーウェル "1984年" [海外]

2017年4月10日の日記

1984年.jpg 

ジョージ・オーウェルの "1984年" を読みました。トランプ政権の誕生で米国で再びよく読まれているようです。早川epi文庫の帯にもそう書いてありますね。

全体主義国家による国民の監視について警鐘を鳴らした本です。

刊行されたのが1948年で,タイトルは4と8を入れ替えたもの,というのは有名ですね。作者のオーウェルは刊行後,1950年には亡くなっています。遺作といってよい作品ですね。ナチス・ドイツは消滅したものの,欧州に鉄のカーテンが降り,鉄のカーテンの向こう側ではナチスさながらの全体主義体制が復活していました。

現実の1984年当時,iruchanは大学生でした。大学の生協でこの文庫本が平積みされていたのを覚えています。ただ,もとから海外文庫が好きだったのに,なぜかこの本は読みませんでした。確かに,まだソ連は存在していたし,それなりに社会主義による独裁体制の怖さ,というのは感じていましたが,日本はバブルの前駆ともいうべき好景気で,日本の未来についてもいずれ米国を追い抜く,なんて論調のマスコミの影響もあり, 自分自身の将来に対しても何ら不安を感じることはなく,この本についても遠い世界の話,と言う風にしか感じられませんでした。それに,海外文庫が好き,といってもやはり明るい,ユーモアのある話が好きで,この本に書かれているような暗い世界の話,というのはどうにも好きになれませんでした。

しかし,今は確かに,この本の帯にもあるように,暗いですね。まさしく19世紀とでも言いたいような帝国主義,独裁主義,全体主義の世の中に変容しつつあります。

それに,監視社会という面では路上,至る所に監視カメラが設置され,とうとう新幹線の車内にも監視カメラがつけられるとのこと。これじゃ,うかうかあくびすらできない感じです。

iruchanも会社では監視されている,と感じる場面が多くなりました。至る所にあるセキュリティカメラは部外者だけでなく,社員を監視しているものでしょうし,メールやweb閲覧の履歴は保存され,定期的に監視されています。うっかり,ファイルを1個でも送ったり,持ち出したりしようものなら総務から呼び出しを受け,始末書だし,それどころかメールの一言一句まで監視され,一言でも会社の名誉? を損なうような内容だと即呼び出し.....という会社になってしまいました。

本書に出てくる独裁者,Big BrotherをBig **** と固有名詞を当てはめればうちの会社と同じだな,と思いました。恐ろしい話です。

時は架空の1984年,世界はオセアニア,イースタシア,ユーラシアの3つの超大国に分割され,それぞれが全体主義で支配され,お互いに戦争を繰り広げています。

主人公が属するのは英,米を中心とするアングロ・サクソン系? と思われるオセアニア国で,英国以外の欧州はロシアが支配しているユーラシアで,中国を首領とするアジア各国はイースタシアの3国に分割された世界です。

もちろん,日本はイースタシアに属しています。何か,現実にイギリスもEUを脱退しますし,日本も将来は.....と思わせる恐ろしい世界です。 

オセアニアは社会主義革命が1950年代? に起こり,以来,Big Brotherなる党首? が支配する社会となっています。そもそも,そのBig Brotherなる人物は存在するのかどうかすら不明で,声も姿も見えません。そもそも彼が生きているのかどうか,そもそも彼は人間なのか,という疑問がずっとついて回ります。

テレスクリーンなる平面TVと監視カメラを兼ねた装置が家々に設置され,政府のプロパガンダしか流していませんし,家の中の様子や声まで監視しているという恐るべき監視社会になっています。 

本書は反体制派の主人公が破滅に至るまでを描いた長編です。本当に,iruchanがいる会社もそして日本の社会も実は,このような方向を向いているのではないかとゾッとした読後でした。 


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Michael Dobbs著 "Six months in 1945" [海外]

2016年11月7日の日記

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とうとう,Michael Dobbsの "Six months in 1945" を読み終えました。なんと1年がかりでした。読んで字の通り,1945年のヤルタ会談から日本の敗北までの6ヶ月間を描いています。

Michael Dobbsは,キューバ危機の一部始終を描いた,"One minute to midnight" がとても面白かったので,読んでいました。 彼の最新作です。邦訳は白水社から "ヤルタからヒロシマへ: 終戦と冷戦の覇権争い" として出版されています。

1945年2月,アメリカのルーズヴェルト大統領がヤルタ会談に出かけるところから物語がはじまります。文字通り,戦後世界を確定した歴史的会談の始まりです。もちろん,戦後世界と言ってもそれは勝者による世界の新秩序の確立であり,戦後の冷戦を見据えてお互いの勢力範囲を定めた会議です。

地中海のマルタ島で米巡洋艦クインシーを下船したルーズヴェルト大統領はそこからクリミア半島にあるサキ空港までダグラスVC-54C大統領専用機に乗り換えて出かけます。"聖牛" (sacred cow)と名付けられた初の大統領専用機です。2年前のカサブランカ会談にはボーイングの314飛行艇で出かけたので,飛行機に乗った最初のアメリカ大統領となっていますが,これは民間機だったため,このダグラスVC-54Cが初の大統領専用機でした。なんでsacred cowなのか,わかりませんけどね....。

ヤルタの旧ロシアの宮殿リバディア・パレスで会談が始まります。ここでチャーチルが一片の紙片を渡し,米英とソ連の勢力範囲を提案し,これにスターリンが応じた,というのは有名な話ですね。ポーランドはソ連が90%,ギリシャは英国が90%,などと記されていました。 ユーゴスラビアやハンガリーは50:50で,自由選挙により国民が体制を選ぶ,と言うことになっていました。

この会議ではルーズヴェルトはアメリカの勝利を確実なものとするべく,ソ連の対日参戦を要請します。スターリンにとっては渡りに舟だったでしょう。満州自体は中国に返還することが定められていましたが,満鉄の権益と大連,旅順の国際港の管理がソ連にゆだねられることが決まっていました。日本の領土は明治時点の領土に限定され,南樺太や千島列島についてもソ連領とすることが決められました。

正直言って,主治医から1年持たないと言われ,死を予感していたルーズヴェルトが譲歩しすぎた,と思いますし,ドイツ敗北後のポーランドをはじめとするソ連衛星国の拡大を脅威に感じて,後任のトルーマンはソ連の対日参戦を避けるべく,次のポツダム会談で努力することとなります。

ヤルタからカイロを経て帰国したルーズヴェルト大統領はジョージア州ウォームスプリングスにあったリトル・ホワイトハウスと呼ばれた別荘で脳卒中のため死にます。後任は4期目の副大統領に決めたトルーマンでした。本来なら副大統領はバーンズ国務長官だったはずですが,どうもルーズヴェルトが嫌ったようです。トルーマンは取り立てて取り柄もなく,田舎者という印象だったのですが,共和党とのパイプを買われたようです。

また,トルーマンはルーズヴェルトとは4期目の80日間ほどのつきあいしかなく,話をしたことも数えるほどだったようです。もちろん,マンハッタン計画や原爆については何も知りませんでした。スチムソン陸軍長官が大統領に話をする場面も印象深いです。トルーマンは長い資料が嫌いで,もらったそれほど長くはない資料を退屈げにろくに読みもしなかったようです。 

一方,ルーズヴェルトは妻のエレノアとはすでにずいぶん前から不仲で,彼女に言わせれば "彼ほど冷たい人はいない" とのことです。冷たいと言えばスターリンも同様で,彼の妻ナジェージダが拳銃自殺していたのは知りませんでした。どうもネットを見ると,スターリンが射殺した,という見方もあるのですね。また,ドイツ軍の捕虜になった次男については,スターリンはドイツ側から捕虜交換の要請があったのに拒絶し,息子は収容所から脱走を図りますが,帰国しても強制収容所行きなのを悲観し,見つけた看守に頭を撃つよう,願って自殺した,と言うのも知りませんでした。スターリンは射殺の報を聞いて満足そうにしていたそうです......。

ただ,ヤルタ会談の内容自体,過去,いろいろと本やTVの特集番組などで紹介されていて,すでに知っている内容も多く,多少,退屈でした。

俄然面白くなるのは1945年5月8日のドイツ降伏の前後からでしょう。

今まで知らなかった内容が多く,特にドイツの原爆開発については詳細を究め,非常に興味深い内容でした。 

もちろん,大戦中,ドイツが原爆開発をしていた,と言うのはよく知られていますが,実態はすでに開発は断念している状況でした。理由はよくユダヤ系科学者が亡命して国内の研究者が少なかったから,と言われますが,現実には科学者はたくさんいたし,むしろ,今次大戦中には原子爆弾は完成しないと考えた指導部の方針によるものだったようです。

一方,ドイツにはハイゼンベルクが残っていました。彼をいかに捕まえるか,というのが米ソともに喫緊の課題でした。アメリカはALSOSと呼ばれた秘密チームを結成し,ハイゼンベルクの身柄確保と,ドイツ軍の原爆製造設備を接収しようとします。

ハイゼンベルクはすでにドイツ軍の崩壊がはじまり,逃亡を図った自国民を容赦なく射殺したり,英米軍機が難民を銃撃すると言う状況下で無事にALSOSの保護下に入ります。

また,彼をはじめとしてドイツの科学者たちはすでに原子炉の原型を作り,また,原子爆弾に必要な濃縮ウランもかなりの量を製造,蓄積していました。

ドイツの原子炉,というのは以前から興味があったのですが,以前,読んだ,Amir Aczelの "Uranium Wars" には残念ながら写真がありませんでした。本書にはちゃんと写真が載っていて,ちょっとびっくりしました。人が数人入って中をほじくっている写真が載っています。ちょうど直径5mくらいの円筒形の穴でした。

ドイツの原子炉はシュトゥットガルトからそれほど遠くない,スイス国境に近いハイガーロッホにあり,また,ウラン濃縮工場はベルリンの北15マイルのオラニエンブルクにあったアウアー社の巨大設備がありました。

もともと,ウラン鉱石自体はドイツで発見されているのですが,原爆が製造できるほどのものではなかったらしく,大戦中は占領下のベルギーが支配していたコンゴの鉱山から国内に運んでいました。 

ALSOSは原子炉を発見し,接収します。また,シュタースフルトに残されていた1,100トンものウラン鉱石を接収します。 しかし,オラニエンブルクはソ連が占領予定の地域にありました。

アメリカはアウアーの工場を破壊することに決め,3月15日,1315機の爆撃機で空襲しました。これで破壊したはずだったのですが......。

実際は1,000トンを超える濃縮ウランをソ連軍が焼け跡から接収し,ソビエト最初の原爆を製造することとなります。 

7月17日からのポツダム会談の最大の議題はポーランド問題でした。まだ戦争をしていた,日本の処理を話し合ったように我々は習いますが,実際の主題はすでにはじまっていた米ソの冷戦でした。殊に,ヤルタでの約束を反故にして東欧の共産化を強引に進めているスターリンに非難が集中しました。

驚いたことに会談前,チャーチルはポーランド解放のため,対ソ開戦を決意していました。

期日は7月1日で,そのため,自軍の帰還や独軍の武装解除を遅らせていました。しかし,将軍たちは兵力がソ連の方が2.5倍もあるため反対します。 "もはや戦争は将軍たちには任せておけない" と第1次大戦後にクレマンソーが言いましたが,このときばかりは "戦争は政治家に任せてはおけない" という状況だったわけです。しかし,チャーチルも7月の総選挙で労働党のアトリーに負けるのはご存じの通りです。もちろん,ポツダム会談もチャーチルが中座し,途中からアトリーが参加します。

さて,ポツダム会談の主要な議題はポーランド問題でした。戦時中,ロンドンには旧ポーランド政府が亡命してきており,本来ならその政権が後を継ぐべきでした。

しかし,ソ連は戦争末期に市民がナチスドイツに対して蜂起した,いわゆるワルシャワ蜂起を支援するどころか,傍観して市内の民主勢力を敵に討伐させるとともに,息のかかったルブリン委員会に政権を確立させます。帰国した亡命政権の要人たちが放り込まれたのはモスクワのルビヤンカ監獄でした。 

一応,スターリンはトルーマンらの猛抗議に応じて,旧亡命政権のただ,1人,ミコライチェクだけが入閣し,まずいところを隠すための,ほんの申し訳でしかないいちじくの葉(fig leaf)の役割を果たしていました。 

こういった次第なので,ほとんど日本について話し合われることはなかったようです。

また,原爆についても,トリニティサイトでの実験成功をトルーマンが会議中に極秘電報で受け取るのはよく知られていますね。チャーチルやトルーマンはこれでソ連に対してストレートフラッシュだ,と思ったようです。

ところが内情は,ソ連はすでに原爆開発のめどをつけていたし,トリニティサイトでの実験についてもロスアラモスの研究所にソ連のスパイが潜り込んでおり,実験期日までほぼ正確につかんでいました。トルーマンがしたり顔で,"わが国は尋常ならざる破壊力を持つ兵器を持つに至りました" と打ち明けたとき,実はスターリンはトルーマンがいつ打ち明けてくるか,待っていたようです。

もちろん,スターリンは原爆投下で日本が降伏してしまうと対日参戦の大義名分がなくなるため,内心焦っていたと思いますが,戦後の核軍拡にソ連が後れを取ることはないと確信していたように思います。

一方,すでに日本から非公式に特使を派遣して米英と和平の仲介をしてほしい旨,打診があったことをチャーチルとトルーマンに話をしています。

特使というのは元首相の近衛文麿のことであるのはよく皆さんご存じのことと思います。暗号を解読していたアメリカがキャッチしていなかったはずはないし,当のスターリンが会談で暴露してしまうくらいなので,日本はもはや彼らの手の内で踊らされているだけだったのですね。

1945年8月2日にポツダムを離れ,英南岸のポーツマスから米巡洋艦オーガスタに乗って帰国の途についたトルーマン大統領は6日正午前(現地時間),初めて乗艦している兵士たちと一緒に食事を取ろうと食堂に座り,ワシントンからの急電にニヤリと笑います。 "16時間前,ワシントン時間8月5日,午後7時15分,雲量1/10の空のもと,広島は爆撃された........。" 

正直なところ,もっと早く降伏ができなかったのか,と悔やまれます。最近の日経で読みましたが,近年,研究者の手によって日本が終戦を本当に決意した理由は原爆ではなく,ソ連の参戦であったことが明らかになってきているようです。数十万人に及ぶ大規模の自国民の犠牲よりも,国体護持を優先していた日本政府は,ソ連の参戦で国内に共産勢力が台頭し,天皇制の維持がおぼつかなくなると考えてやむを得ず無条件降伏を選択した,ということらしいのです。 すでに数十万もの犠牲は原爆だけでなく,空襲でもその規模の犠牲が何度も出ていて,もはや多数の人命の損失に対しては無感覚になっていた,との見方には戦慄を覚えますが,残念ながら当時の日本政府の実態だったのでしょう。

歴史に "if" はつきものですが,やはり読後に感じたのは,もし,日本がもっと早く,たとえばサイパン陥落の1944年7月とか,最悪,ドイツ降伏と同時に1945年5月に降伏していたら,と言うものです。すでに,軍事的には敗北は明らかで,日本の軍人たちはアメリカにひと泡吹かせてやって少しでも有利な条件で和平を,と考えている状況だったし,政治家たちもいかに天皇制を維持するかだけを考えている状況だったわけなのですから。 

広島や長崎に原爆が投下されることはなかったし,東京大空襲をはじめとしていくつもの都市で10万人規模で人命が失われることを避けられたでしょう。関東軍の武装解除は平和裏に実施され,多くの同胞は満州,中国から無事に帰国したでしょうし,朝鮮半島の分断もなかったでしょう。中国だって,共産化しなかったかもしれず,アジアは今よりずっと平和な未来が実現していたのでは,という感じがします。

また,一方,もし,チャーチルの意思どおり,連合軍とソ連軍が戦闘状態に入っていたらどうなっていたでしょうか。おそらくソ連が勝って欧州全体が共産化することになって,今ごろ世界秩序は大きく変わっていたに違いありません。 こちらは,戦慄の未来ですね。

と言う次第で,日本人必読の本,と思いました。


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サム・キーン著 "スプーンと元素周期表" [海外]

2016年9月10日の日記

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サム・キーンの "スプーンと元素周期表" が本屋さんの平積みになっていたので買ってきました。パラパラとめくって面白そうだったのですが,実際,久しぶりに面白くてページをめくるのがめんどうになるくらいで,英語ではこのような本のことをpage turnerと言うのですが,まさしくその通りでした。

Simon Winchesterの "Krakatoa"  (邦訳:"クラカトアの大噴火" 早川書房刊2004)もそうでしたけど,非常に面白く,なによりKrakatoa同様,書いてある内容が元素の話だけにとどまらず,非常に広範囲にわたるので1冊の本を読むだけで何冊分もの知識が得られるとてもよい本でした。

メンデレーエフによる元素の周期律表の作成にはじまって,元素の発見競争や各元素ごとの性質や工業的利用についてまとめてあります。 エピソードも満載で,お堅い理科系の本を想像すると大間違いで,とても楽しめます。

やはり,92番のウラン以降の放射性元素の発見の経緯と,その応用としての原子爆弾の開発が詳しく書いてあって,とても興味深いです。残念ながら,科学の進歩と戦争への応用は切り離せないものなんだ,と言うことを実感させられます。

まずは第1次世界大戦。このところ,Tuckmanの "Guns of August"(邦訳: "8月の砲声" ちくま刊)を読んで以来,第1次世界大戦のことが気になっています。そもそも第2次世界大戦の発端は第1次世界大戦の戦後処理の誤りにあるのは明らかだと思っていますが,歴史は勝者が書くので,第1次世界大戦の勝者たちの責任については不明確なまま,放置されていると思っています。

本書でもウランは言うまでもなく,モリブデンとタングステンが戦争に絡んでいます。モリブデンについてはすでに,第1次世界大戦の開戦前にドイツはこの元素が鉄鋼の強度を高めるのに有用であることを知っていました。

ドイツ側の作戦は,例のシュリーフェンプランに基づいてベルギーを通過してフランスに攻め込むというものでしたが,途中のリエージュに12箇所の要塞が立ちふさがっていました。 ここをいかに早く沈黙させてフランスに侵入するか,と言うのがドイツ陸軍の第一の課題でした。

ここを墺スコダと独クルップが開発した巨大攻城砲で攻撃し,わずか2週間足らずですべての要塞を撃破するのですが,これらの大砲の砲身にモリブデンが使われていました。

当時,連合国側ではモリブデンの有用性には気がついておらず,また,ドイツは自国内にモリブデンを産出する鉱山がなかったため,まだ中立国だったアメリカの鉱山を非合法的手段で乗っ取ろうとします。 鉱山主はうすうすモリブデンの有用性に気がついていたので自分の権利を守ろうとしますが.....。

一方,ドリルなどの工作機械に用いられるタングステンの利用は第1次世界大戦以後のことですが,中立国だが親ナチだったポルトガルがタングステンの輸出で大もうけします。

しかし,それにしてもそもそもなんでタングステンの元素記号がWなのか.....。

ドイツ語でオオカミから派生した残忍な人という意味のWolfrumがこの金属の名前だったそうです。 なんか,この元素の使われ方を暗示しているような.....。

もちろん,第1次世界大戦と言えば毒ガスで,アンモニアの工業的量産法である,ハーバー・ボッシュ法を開発したハーバーの物語も詳しいです。妻がピストル自殺して抗議したのに毒ガスの開発をやめようとしなかったのは有名な話ですね。

もちろん,原爆の開発も詳しいです。そのほか,カドミウムや水銀による公害病についても詳しく,ちゃんとイタイイタイ病や水俣病のこともきちんと解説してあるのは日本人としてうれしいですし,日本の実態を正確に伝えて公害病を防ぐ意味でも英語で書かれた本があるのはとてもよいことだと思います。

訳は前回読んだ,ボダニスの "電気革命" はひどかったですけど,さすが海外の書籍を多数翻訳して出版している早川書房の出版になるだけあって,とてもこなれた訳で読みやすいです。 

余談ですけど,iruchanは邦訳がある場合でも原則,英語の勉強をしたいので洋書を読むことにしています。値段もたいていは洋書の方が安いですしね。でも,本書は洋書の方が高いので,訳本で読みました。 それに,訳本は訳がまずくて読みにくい,と言うのも多いので....。特にこういう理科系の本は大学の先生が訳していることが多くて直訳調で読みにくいことが多いのです。Tuckmanの "8月の砲声" も訳の評判が悪いですね。幸い,iruchanは洋書で読んだので訳本は読んだことがないのですけど。 


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